::早稲田短歌会について

・早稲田短歌会の活動内容

1、歌会

各自が歌を作って持ち寄り、みんなで批評しあっています。

2、勉強会

著名な歌人の歌について勉強しています。

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とも、以下の日程で開催されています。

週一回 18:00〜21:00 早稲田大学 学生会館E714号部室 地図

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・早稲田短歌会の概要

 大正9年、講師に招じられた窪田空穂を囲んで、学生たちが歌会をはじめたのが早大短歌会のルーツです。

 当時、歌会は国文科の学生を中心に、文学科などの学生10人ほどが集まり、空穂に作品の批評を仰ぐ形式で行われていました。

 同じ頃、都築省吾、染谷進、尾崎一雄、山崎剛平、稲森宗太郎らをメンバーとした学院(高等学校)の歌会「八ツ手会」も、会員の大学進学とともに早大短歌会に合流。

 大正14年、「槻の木」が誕生し、会員の多くが移っていったため、早大短歌会としての活動は一時衰えます。

 昭和18年、国文科の武川忠一が、級友、岩淵鉄太郎、奥津春雄らに呼びかけて歌会をはじめ、窪田章一郎、服部嘉香らの指導を受けます。

 戦時下ではありましたが、歌会は続けられ、昭和21年には岩田正らも参加して、ここから「まひる野」が創刊されることとなります。

 一旦活動が途切れた後に、昭和25年、戸谷高明、原田清らの手により再開、翌年には篠弘、来嶋靖生らが入会、会誌「早大短歌」が創刊されます。

 この頃の会員は「まひる野」、「槻の木」の若手会員が多く、昭和27、28年頃は東大、慶應大、国学院大、共立女子大など10数の大学と合同歌会が持たれていました。

 昭和32年頃には小野茂樹、内島隅一、佐佐木幸綱らの入会があり、昭和37年から、機関紙「早稲田短歌」の他に、部室の番号からとった「27号通信」を月一回のペースで発行していました。

 福島泰樹、伊藤一彦、三枝昂之らの、学園紛争の影を映した活発な作歌活動の後、昭和40年代後半から早稲田短歌会の活動は下火になってゆき、50年代半ばには休会を迎えます。

 その後、何人かの学生の思いがまとまり、顧問に佐佐木幸綱教授を迎えて、会が再開するのは昭和61年のことです。

 同時に発行を再開した会誌「早稲田短歌」は現在で、39号を数えます。

 平成21年に佐佐木幸綱先生が退任されてからは、顧問に堀江敏幸教授を迎え、今に至ります。

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