荻原裕幸ロングインタビュー

第一部

猫・恋人・犀・水色

橋元:今回自選十首ということで作品を挙げていただきましたが、意識的にでしょうか、全ての歌集からまんべんなく選ばれてますね。

荻原:ぼくの作品の場合、歌集によって好き嫌いが大きくわかれるようなので、話が構成しやすいように、それぞれの歌集から少しずつ選ばせてもらいました。

橋元:恐れ入ります。このように全歌集から並べられていると、指摘されるところだとは思いますが、『青年霊歌』、『甘藍派宣言』と続いて、そのあとに切れ目というか変化があるように見受けられます。この二つは、なんというか、より実存的な問題が大きく捉えられ、テーマとされているような印象を受けます。もちろんその延長上に『あるまじろん』もあると思うんですけど、切れ目という意識はやっぱりあったのでしょうか。

荻原:作者としては、すべての歌集に切れ目の意識があります。でも、おのずと切れ目の大きい小さいはあるでしょうね。『あるまじろん』のそれが大きく見えるというのは、作風や文体が見かけ上でも大きく変化しているからかな。『あるまじろん』は、「記号短歌」と呼ばれた一連の作品をまとめた歌集で、『青年霊歌』や『甘藍派宣言』の文体では描ききれなかった世界の感触を描こうとしたものです。ただ、急にああした書法の作品を書こうと思ったのではなく、『青年霊歌』を書いていた頃からあたためていた方法です。だけど、一冊の歌集のなかであれもこれもと試すわけにはいかなかったし、あんな「爆弾」みたいな歌をいきなりぽつんと『青年霊歌』に入れても読者にはただの遊びにしか見えないでしょうから、時期が来るのを待ちながら準備していました。『甘藍派宣言』には、「記号短歌」の歌集を出すための導入的な感じの作品も入れています。『あるまじろん』の時期には、同人誌(加藤治郎たちと創刊した「フォルテ」)や他ジャンルの雑誌(「日本空爆 1991」の初出は俳句の結社誌「地表」)など、「記号短歌」を自在に書ける場所が運よくいくつも得られたので、書きたかったあの方法が一気に噴出したわけです。それで発表した作品もたまりましたし、この時期は「記号短歌」で一冊をまとめても大丈夫だというきもちになりました。切れ目と言うよりは、条件が揃った時期だったという感じでしょうか。テーマにはさほど大きな変化がないように自覚しています。

五島:テーマ自体が変わったというふうには、確かに私も思わないのですが……。たとえば、『青年霊歌』の「きみはきのふ寺山修司」みたいに、「猫」がよく出てきたりしますよね。あと、「恋人」とか。自分と時代との接点というか、完全にコミュニケーションできないまでも、その中間点としてこの「猫」や「恋人」がでてきているのかなと思ったんですが。そういう試み自体はどの歌集にも共通して見受けられるように思います。

荻原:はい。ダイレクトに固有名が出てくる現実の事件とか、私的な固有名が出てくる日常ではなく、もうちょっと抽象的な、内面と現実的な手触りとの中間に位置して書いてゆく傾向があるかも知れません。さほど強く意識しているわけではないのですが、内面と現実、どちらかに極端に偏ると、読者の感じるリアリティを削いでしまうと思っているので、自分と他者のたましいが半分ずつ宿っているような存在、「猫」とか「恋人」とかが繰り返し出るのでしょうね。

橋元:「犀」とか、「みづいろ」っていうのもありますね。

荻原:そうですね。自己分析はむずかしいけど、『青年霊歌』に出てくる「猫」ということばの使い方は、登場するキャラクターにもなっているので、「犀」や「水色」とは感触の違うものになっているかも知れないけど、本質的にはおなじことばの使い方なんじゃないかと思います。つまり、具体的な「犀」とか「水色」そのものと、作者が抽象化して固有に抱いているイメージとを一体化したようなことばですね。自分と他者のたましいが半分ずつ宿っているような概念かな。繰り返し出るのは、その概念自体を登場するキャラクターとほとんどおなじ感覚でとらえているからかも知れません。特に『世紀末くん!』では、「犀」とか「水色」を述語としても繰り返し使ったので、違和感をもつ人が多かったようなんですが……。

『あるまじろん』批判

橋元:なるほど。『世紀末くん!』ではその修辞がまたもう一段階ねじれるというか、「宥されてけふも翡翠に生きてゐる気がする」の「翡翠」なんかもそうだと思うのですが、例えば「罌粟な作家とは言へないが」や「恋人とピザを演奏してゐる」というような、ある種こちらが拒絶されているような、しかも意図的、確信犯的にそうされているような印象を受けるところがあります。『あるまじろん』も含めて、こうした修辞への反響のようなものをお聞きしたいです。

荻原:ことばの使い方がおなじでも、『青年霊歌』の頃は、登場するキャラクターとして書いていましたから、修辞と言うよりも、世界観として問われることがよくありましたね。前衛短歌、とりわけ塚本邦雄からの影響の大きな作風でしたから、なおさら現実を描くというよりも美学のようなものとして受けとめられたのではないかと思います。たしか『青年霊歌』の出版記念会のときだったか、林あまりさんと水原紫苑さんに、「恋人」がお人形さんみたいだって批判的に指摘されました。キャラクターにたましいがこもっていないんじゃないか、本来完全なる他者であるはずの存在が、どこかで作者の側の意図にそって存在させられているように見えるという指摘だったと記憶しています。歌集に出てくる一人称と「恋人」との関係が、紋切り型に見えたのかな。おなじキャラクターとしての他者を媒介する作品でも、「父」「母」などの家族詠については、佐佐木幸綱さんや小高賢さんが、それなりにリアルな感触を受けとってくれたようでした。小高さんには、存在か修辞かといったとき、ぼくの進むべき道は修辞の先鋭化にはない、とまで言われたのですが、これはまるっきり裏切るかたちになってしまいました……。逆に、作中でキャラクターとしての他者を媒介せずに、一人称と「街」とか一人称と「時代」をダイレクトに結んだ作品については、美学的なものを崩してリアリティに向かおうとしているところを、作者の意識としては崩しているわけじゃなく「中和」している感じだったのですが、評者の多くに、比較的好意的な感じで受けとめてもらえたように思います。大辻隆弘さんは、前衛短歌的な世界を崩しているところを、賛否半々という感じで「痛ましい歌集」だと言っていました。『青年霊歌』以後は、いま言った「中和」をさらに進めていった時期で、批評の傾向に大きな変化はなかったと思うけど、詩の表現としての強度が薄まっているんじゃないかと指摘を受けたことがあります。「中和」しているのだからまさにその通りだったのでしょう。時期としては「中和」がある程度進んだところでいわゆる「記号短歌」を書く機会がやって来ました。『甘藍派宣言』の一部や『あるまじろん』に対しては、とたんに批評の感触がかわって、短歌に見えないという人と好意的に評価してくれる人とが完全に二分されてしまったような……。

五島:具体的にはどういう批評があったんですか。好意的なものも含めて。

荻原:いろいろあったけど……。批判の主なものは、やはり「記号短歌」という書法を受けつけられないというものでした。音として読めないし、書いてあることがわからないという具合ですね。「▼」が爆弾だというのは、説明するまでもないと思ったのですが、刊行後かなり時間が経ってから、「▼」という爆弾の落下の表記が云々と書いてくれた批評に対して、別のある人が、どうやったら「▼」を爆弾だなどと解釈できるのか、と噛みついていたことがあって、伝えるってむずかしいんだなあとしみじみと感じてしまいました。好意的なものとしては、従来の書法や文体の常識を壊したところを言う人が多かったようです。『世紀末くん!』については、あの書法をパターン的な意味のはずしだと捉える人が多かったですね。ぼくとしては、はずしではなくあくまでも構築しているつもりだったんですけどね。

橋元:世代による評価の差みたいなものもやはりあったでしょうか。

荻原:はい、ありました。特に『あるまじろん』については、マンガとか映像とかビジュアルの文化で育った世代は、拒否反応が少なかったようです。逆に上の世代には不評というか拒否する人が多く、特にご年配のリアリズム系の人たちからは、批評以前のレベルで拒否されたようです。総合誌で言うと「短歌現代」にいちばんとりあげてもらう頻度が多かったし、ほんの数年前まで、何かと言うと加藤治郎さんの「!」の並んだ歌やぼくの「▼」の並んだ歌が引用されていましたが、戸惑いを感じる、というのがいちばんやさしい批判で、ひどいものになると、作者の名前すら付けず細部を間違った引用をした上に、ただの拒否反応を示すものもありましたよ。

コミュニケーションの模索

橋元:こうした記号短歌などの表現は、シーンに対して何かを投げつけるというか、投げかけるぞといった意識よりも、もう本当に自然な流れとして荻原さんの中にあったんでしょうか。先ほど『青年霊歌』後に関して言われてましたように、この時期に何かタイミングや計算があって。

荻原:それは、う〜ん、短歌シーンに何かを投げかけるという意識と、作者の内的な必然性というのは、どちらか一方だけにはならないんじゃないでしょうか。正確に半々ではないと思いますけど、どちらもありましたよ。この頃、従来型の共感を誘うようなコミュニケーションではなく、共感という意識をちょっと離れたところで、新しいタイプのコミュニケーションを個人的に模索していました。同世代の歌人で言えば、加藤治郎、穂村弘、西田政史の活動と、どこかでシンクロしていたんです。それで、彼等三人の作品を引用して「現代短歌のニューウェーブ」という文章を、朝日新聞に書いたんです(一九九一年七月)。その記事がいささか反響を呼び、「短歌研究」がニューウェーブの特集を組んだりして、短歌シーンがある種の過熱状態になったところへ、翌年(一九九二年)、『あるまじろん』を刊行しました。過熱状態にだめ押しをかけようという意識はありましたから、短歌シーンに何かをしかけたとも言えますが、そもそも「現代短歌のニューウェーブ」が内的必然性だったとも言えてしまうし、どちらがどうだとははっきり言えないですね。

阿部:はじめ『あるまじろん』を読んで思ったのは、記号のところがわからなかったんですね。作者の中で沸き起こっている気持ちの表れがこの記号だっていうのは、この記号でしか表せない気持ちだったのかな、内から自然に出た表現がこれだったかのかな、と思ったんですが、もう少しヒントをくださいとも思ったんです。

荻原:ぼくの内側にあるものが何かを知るためにもっとヒントをくれ、ということかな……。あれは、リアルな描写をめざしてはいるんですけど、自分の内面にあるものをそのまま書き写しているというわけではないです。嬉しいとか悲しいとか、そういう紋切り型の感情でも内面は言い表せてしまうわけですが、それでは個人的な体験の個人にかかわる部分が消えてしまう。個人の個人らしさがたちあがるためには、そんな大雑把なことばではつかめない。だったらどういう書法なら言い表せるかを考えたときに、『あるまじろん』のような「記号短歌」や『世紀末くん!』のようなかなり屈折したレトリックが出てきたんです。内面というかたちのないものは、もともと描写できるものではないわけだから、既成概念をまとわない書法で、さまざまに書き試してみた結果、フィットするものを残した、というのがかなり正確かな。書いたあとで、そうそうこれこれこんな感じだった、みたいな。

五島:あの表記っていうのは、内面なんだけど内面じゃない。感情そのものっていうのではなくて、メカニズム。たとえばコミュニケーションのメカニズムのようなものを映しだすことに重点が置かれているように感じました。

荻原:はい。それは意識していたところがあります。本質的に文字化しようのない生の感情そのものではなく、コミュニケーションのメカニズムというかシステムみたいなものが浮き彫りになれば、ぼくの内部でどんなことが起きているのかが見えやすくなるんじゃないかと。この意識は、以前の歌集よりも、『あるまじろん』と『世紀末くん!』の時期に強かったんです。その時期に記号的な書法がたくさん使われたり、屈折したレトリックが増えたりしたのは、自分の中で、「純粋なコミュニケーション」ということがかなり重要な位置を占めていたからでしょうね。以前の歌集では、自分の考えていることが自然に読者に伝わってゆくという確信に近い感覚があったし、伝統的な理解のための共有コードをかなり多用していて、短歌を読みなれている人にはよくわかると言ってもらえる場面が多かったのですが、新しい表現を求める人たちには、あまりにもわかりすぎる、つまり、伝統的すぎると言われてしまったんですね。それで、コミュニケーションをもっと純粋に成し遂げるには、前提がゼロに近いところから何かを発信してゆく必要があるんじゃないかと思ってました。ゼロに近いところからっていうのは、日常的に周囲にころがっているようなことばを使って、という意味です。記号にしても、その他のレトリックにしても、ぼくの書法はありきたりのことばからはじまっています。以前、藤原龍一郎さんが、『あるまじろん』について、なんで荻原裕幸はオリジナルの文字をつくらないのかって批評を書いてくれたことがありました。すべてワープロやパソコンのJIS規格の記号を使っているけれど、オリジナルの文字をつくってはどうかと言われました。でも、それではぼくとしてはあまり意味がないわけで、日常的に身近にあることばや文字たちを使ってコミュニケーションについて考えることが狙いだったわけです。エキセントリックな表現をする歌人になろうとしていたのではなく、身近なことばでコミュニケーションの仕組みを浮上させたかったんです。短歌の仕組みも含めたコミュニケーションの仕組みがそこに浮上すれば、ぼくの考えも伝わるだろうという発想です。

阿部:さっき質問しようとしてたのは、『青年霊歌』の中で、「みづいろの楽譜に音符記されずただみづいろのまま五月過ぐ」っていう歌があって、私すごく好きなんですけど、この歌を作るときと、『あるまじろん』の歌を作るときとのモチベーションの差ってことだったんです。

荻原:なるほど……。一首一首でそれなりに違うとは思うけど、本質的なものはあまり変わらないでしょうね。文体も書法も違うわけだし、一から十まで同じだとは言えないんだけど、『青年霊歌』と『あるまじろん』は、そんなに離れたポジションで書かれた歌集ではないと思っています。「みづいろの楽譜」の歌って、たしか二十歳の頃に書いたものなので、『あるまじろん』と十年近くの時間のへだたりがあるんだけど、まあ、今でもそんなに変わったわけではないから。

橋元:一貫してる感じですね。

荻原:成長してないってことですよ(笑)。

シーンに感じていたもの

橋元:『永遠青天症』は、この『青年霊歌』『甘藍派宣言』の青年、「世界と対峙する青年」がそのまんま大人になって登場する、サラリーマンバージョンだなという感じを受けました。「青年」だった頃からは、かなり敵は限定されたのかもしれないけれど、つまり「世界」が会社とか職場という具体的な形を通過することで、一体何に対して戦っているのかがやや限定されてきたという違いはあるのかもしれないけど、基本的には一貫してて、あの青年が大人になったのだと感じさせますね。それで、荻原さんは「場」ということをおっしゃいますが、ニューウェーブということ自体が、その「場」の移行を強く希望した結果だったのではないかというふうに感じます。つまり、それまでの、ほとんど一つの価値体系が支配しているかのように見える「場」からの。それで、その移行を強く喚起させるために『あるまじろん』のような表現があったのかなと思ってました。投げつけるというか。でも、ご本人としてはもうちょっと個人的だったんですね。

荻原:そうですね。短歌シーンの変革というモチベーションだけで書いたわけではないですよ。もちろん従来の「場」への反撥という部分もありますけど。たとえば、個人的な体験は、一人一人ぜんぜん別々のものであるはずなのに、それを短歌で表現しようとするときに、みんなあるパターンの中に収めてしまう傾向があるよね、短歌って。それに対して強く反撥を感じてました。「〜な秋のゆふぐれ」とか「〜あはれ」とか、古風な表現なのに今でも感動できる装置として機能してしまうでしょう。他にも「〜われは」で結ぶと、ああこの人はこういう人なのか、とか思ったりするわけです。その紋切り型の装置の中に何もかも収めてしまって、個人的なアレンジを少しほどこしただけでも、ある種の感動みたいなものがたちあがる。そうした装置としての短歌、それを許容してしまっている「場」に反撥を感じていました。一人一人はもっとぜんぜん別の人間じゃないか、ぜんぜん別々の体験をしてるじゃないかって。ゼロから自分がたちあがってゆくような「場」もあるはずだあるべきだと考えていました。「記号短歌」というのは、その反撥のあらわれでもあり、これも短歌ですよっていうつもりで発表したわけです。反撥のあらわれっていうところに拒否反応が生じる要因があったのでしょうけど、別に他の短歌をすべて否定するつもりで書いたわけじゃないです。従来の方法論が一から十まであるとして、そこに十一番目とか十二番目の方法を提示するといった意識でしたから。そもそも「記号短歌」がすべてだと言うのなら、自分の過去の歌集だって否定することになっちゃうしね。『あるまじろん』は十一番目の方法、『世紀末くん!』は十二番目の方法、といった感じです。歴史的なものを否定して「これからはこうだ」という意識は薄かったと思う。歴史を否定するんじゃなくて歴史をひろげるくらいの傲慢な気分だったかも知れない。歴史に何かを付加するっていう意識ですね。ただ、反撥っていう部分はどうしても表面化していたようで、ぼくが嫌だなあって感じていた短歌のシステムを全肯定していた人たちにとっては、すごく強烈な批判になっていただろうし、その人たちにとっては、歌集だと言って「▼」なんて使って何かが書いてあるなんて、冒涜的なことだったと思うし、それのどこか短歌なんだ、それのどこに心があるんだってことになったんでしょうね。ぼくは短歌を壊したかったわけじゃなくて「場」を再編成したかったんだから、やむを得ないとはいえ、大きな誤解をされたと思っています。

橋元:その後もずっと記号で作り続けてきたかというとそうではないわけで、この意識がまた形を変えていくわけですよね。それで『世紀末くん!』が来たりして、うかがったところでは『永遠青天症』では意図的に原点に回帰しているようなところがあるそうですが。自分の短歌に寄り添うような形で作られたとか。

荻原:はい。『青年霊歌』から『世紀末くん!』までで、自分が方法として意識してきたことを、もう一度自分の中でシャッフルしてたちあがらせてみるつもりでした。さきほど『あるまじろん』が十一番目で『世紀末くん!』が十二番目で、と言いましたが、それらを加えたかたちで、あらたに現代短歌に対して接してみると、自分の表現が質を変えてゆくのではないか、すでに変えているのではないかと思ったんです。それを確認する意味も含めて、『永遠青天症』は、現在までの全歌集に収録するというスタイルにしました。

荻原裕幸の「時代」

五島:「時代」という言葉が『青年霊歌』に出てくるんですけれど一九九四年の『世紀末くん!』から見てちょっと間があいてますよね。その間に「時代」の雰囲気の変化とかを感じていますか?

荻原:一九九四年から二〇〇一年までの間で変わったかどうかってこと?

五島:九四年からと言うより八八年から全体的にどうでしたか。バブルとか。

荻原:かなり大きな変化だったんじゃないでしょうか。第一歌集の頃から世界に東西がなくなってゆき、第二歌集の頃にバブルがはじけて、第三歌集の時期には湾岸戦争があって、第四歌集の直後に阪神大震災と地下鉄サリン事件があって、その後、世紀もかわったわけだし、今回の『永遠青天症』の半年後にアメリカでテロが起きました。そんな風に対応させたら目がまわりそう……。

橋元:荻原さん自身には時事的な単語を取り入れた歌もありますし、そういう社会性のあるものとして「時代」もあると思いますが、『青年霊歌』などではもっと青春的な捉え方をして、よくわからないものというニュアンスのある「時代」であるわけですよね。

荻原:その頃もいまもぼくの中ではつながっていると思うけどね。あ、「時代」ということばの使い方かな? 同時代として現在をどういう風に見ているかってことかな? 自選作としてあげた「まだ何もしてゐないのに〜」に書かれている「時代」というのは、特定のその時代が、っていうよりも、この頃はいつの時代も、というニュアンスが強いかも知れないです。青年の感覚としての時代に優しく噛み殺される感じね。一九六〇年代はあきらかに違うけど、一九七〇年代以降は、ずっとこんな感じがあるんじゃないかな。岡井隆さんが『現代百人一首』(朝日新聞社)で、この歌をとりあげていて、二十歳そこそこで「まだ何もしてゐないのに」なんてよく言うよ、というようなことを感じたと書かれていましたが、この「よく言うよ」という感じも含めて一九七〇年代以降のものだと思います。

橋元:なるほど、すでに一周回ったというような用法でこの「時代」なんかが出ていたわけですか。揶揄するような意味で。いまどき「時代」を出すか、みたいな。

荻原:まじめかまじめじゃないのか、微妙な感じですね。高橋源一郎さんが「週刊朝日」でとりあげてくれたことがあって、たしかそのときにも、現在こんなことが書けるのは短歌だけ、みたいな内容のコメントがあったと思います。

橋元:嫌味ですかね。それはバブルが背景にあったからでしょうか。

荻原:一九八〇年代はたしかに浮かれた雰囲気ってのはあったけど、でもこれあまり浮かれた歌じゃないと思うよ……、たぶん。

五島:時代の手触り的な雰囲気の中で表現が変わっていったっていうのは。

荻原:社会事象からダイレクトな影響を受けたのは……、湾岸戦争のときは大きな影響があったけど、それ以外はどうだろう、個人的な時系列の問題の方が圧倒的に大きいんじゃないかな。大学卒業したとかフリーターしてたとか就職したとか結婚したとかね。もちろん時代の中で生きているわけだから、影響がないわけはないんだけど、知識や情報としての時代のエッセンスが入って来ても、それが熟成されてかたちになるまでにはいろいろな過程があるので、たぶんダイレクトなものは少ないでしょう。それに二十代なんて、知らないことだらけで、本をいっぱい読む時期じゃない。だから現実の事件以上に、何百年も前に書かれた本から受ける影響の方が大きいということもざらにあるんじゃないかな。今でも、同時代から受ける影響と過去から受ける影響とのどちらが大きいかとは一概に言えないような気がします。不況にかかわりなく現在を生きることはできないけど、表現の中に何が入って来るか、というか、何を表面化させるかというときに出てくるのは、同時代とばかりはかぎらないです。

阿部:ちょっとそれるんですけど、先ほど知識とおっしゃいましたけど、『青年霊歌』の感想として知識があることの喜びという雰囲気を感じたんですよ。全然そんなことがなかったら申し訳ないんですけど。

荻原:どうかな……。たしかに、本をたくさん読んでいた時期だから、その喜びみたいなものはあるかも知れないですね。文体についても、こういう単語を使うとか、こういうイメージを使う、ということに素朴な喜びを感じることのできる時期だったから、楽しんでいるところが表面にあらわれているかも知れないです。博学とかブッキッシュというほどにいろいろなものが出てくるわけじゃないと思うけど、文体に知識や情報が楽しみのかたちで表面化している部分があるとすれば、それはたぶん塚本邦雄さんからの影響という面が大きいんじゃないでしょうか。

「全歌集」という方法

宍戸:『デジタル・ビスケット』は去年でしたっけ、亡くなられたわけでも、筆を折られるわけでもないのに全歌集を出版するのは何か理由があったのでしょうか。

橋元:それに加えてこの『永遠青天症』が「未刊」であるということについてもお願いします。ただ本という形では分けられなかったということですか。

荻原:『永遠青天症』は単独では刊行しなかったので未刊歌集なんですが、第五歌集です。『デジタル・ビスケット』は、そこまで含めてすべての歌集を横ならびにして読んでもらうための編集スタイルで、従来の「全歌集」がもっていたような重い意味をもたせてはいません。どうしてすべてをセットにしたかというのは、さきほどから話に出ている一貫性とか切れ目の問題にかかわるんだけど、つまり『あるまじろん』や『世紀末くん!』を出したときにスタイルが変わったのは、作家としての本質、つまり世界観に変化が生じたのではなくて、方法論のギアチェンジみたいなものだということを、『デジタル・ビスケット』で示そうとも思ってました。大きく作風が変わった作家って、自分の過去の作品を否定したりすることあるでしょう。そうじゃないんだよってことを言うためにも、過去の歌集に手を加えず、しかも最新の歌集をそこに組みこむかたちで、『デジタル・ビスケット』という一冊にすべてをまとめたんです。それから、もう一つ、『世紀末くん!』を出した頃から、作品を読んでもらうためには、読者の力量に依存しているのではなく、こちらから積極的に何を考えて書いているのかが見えるように作品を提示しなくちゃだめじゃないかとも思いはじめたということも大きな理由です。ぼくみたいに、文体が成長するタイプではない場合、方法論のギアチェンジというかスライドというか、そうした変化の総体をまとめて読んでもらった方が、全体をきちんと歪みのない状態で理解してもらいやすいんじゃないかって考えたんですよ。千何百首もまとめて読んでもらうのは気の重い話だけど、三〇〇首前後では掴みにくいところがあると思ったんだよね。方法を一つずつばらばらで見てもらうよりも、まとめて一つのものになっているところを見てもらった方が、わかりやすいだろうし、誤解も生みにくいんじゃないかな、というのはあくまでも作者の側の希望的な観測だけどね。

五島:『青年霊歌』の「きみはきのふ寺山修司」とか、たぶん『青年霊歌』だけ読んだときと『あるまじろん』といっしょに読んだときと全然印象が変わると思う。猫の存在について考えたのは全歌集を読んでからなんですよ。だからそういう連続性っていう観点から見ると一冊にしたっていうのはよくわかります。

荻原:ありがとう。もしかすると、一人称の成長過程みたいなものを中途半端に見せるビルドゥングスロマンみたいな感じになって、かえって演出くささがつきまとうかも知れないな、と思ったりもしたんだけど、そのことよりも、作品の連続性が見てもらえることの方を重視しました。これはたぶん、寺山修司の「全歌集」と正反対の編集方法なんですね。寺山の場合は、ビルドゥングスロマンに見せようとして、既刊歌集の作品の時系列を壊してまで「全歌集」の演出にかけたところがあると思うんです。自筆年譜にも意識的と思われる「誤記」がありますが、それだけ演出した成果として、なめらかな感じに「全歌集」の流れがしあがっているようです。ぼくのは歌集を刊行順にベタで並べているので、できそこないのビルドゥングスロマンになってるかも知れないけど、歌集単位での収録方法は、刊行時の状態にすることにこだわってみました。寺山修司の方法を反転させたという意識も少しあります。「あとがき」に入れた、全歌集の「全」の一字を裏切る云々というくだりも、彼の全歌集の「あとがき」にあったフレーズを意識して書いたものでした。この「きみはきのふ寺山修司」という作品についても、単に寺山の名前を入れたというだけじゃなくて、彼が本歌取りとは呼びづらいほどダイレクトに俳句をパラフレーズして短歌を書いたっていう、すでに歴史的な出来事となっている方法に少し対抗心をもって書いた作品だったんです。以前に「短歌研究」でとりあげられたときにも指摘があったし、藤原龍一郎さんが『現代の第一歌集・次代の群像』(ながらみ書房)などで好意的に書いてくれていますが、金子明彦という俳人の「君はきのふ中原中也うれさみし」というのがこの歌の「本歌」です。本歌取りと言うよりも、本歌にあたる作品から、盗作にはならないようにして、どれだけたくさんの文字をとりこんでしまえるか、みたいなことを考えながら書きました。金子明彦の句は「君はきのう中原中也を読んでいた、中也を読んでいた君がいなくなってしまった、遠いところに行ってしまった」というのがオーソドックスな読みだろうと思っていたのですが、「君はきのふ中原中也」というフレーズは、あたかも中也が誰かに生まれかわったみたいにひびくんです。このひびきのかっこよさのようなものだけを抽出して変身譚にしあげられないか、というのが「きみはきのふ寺山修司」のモチベーションでした。もちろん、ただの遊びではないので、自分の作品として書きあげるためにはいろいろ考えましたが、そのままでも作品として読めて、金子明彦の句や寺山修司のパラフレーズ的な文体を知っている人には、それとは別にはっとしてもらえるかなと思ったんです。よくよく考えてみるときわどい方法でしたね。

宍戸:デジタル・ビスケットのホームページでも「あらゆる文体は模倣なんだ」というような文章が載ってますよね。荻原さんの文章だったと思うんですけど。誰かの本歌取りなんじゃないかと言うような論評に対して言われていたような。

荻原:個々のことばにまったくのオリジナルというのはないですよね。すべてどこかから「引用」しているわけです。文字という視点で考えてみると、ワープロやパソコンで書かれているものは、すべてJISコードの文字の一覧から引用されているわけなんです。すべてがその組みあわせなんです。このくらい極端に考えておくことは必要ではないでしょうか。それがどこかの段階からオリジナルとして機能しはじめるわけなんですが、そのボーダーみたいなものは、先のようなきわどい方法によって、わりあいはっきり露出しますよね。こういう仕組みを浮き彫りにする方法への志向は、この時期からすでにあったみたいです。

宍戸:模倣っていう意味で、さっき出ました記号文字とか『甘藍派宣言』でも数式の中に文字を当てはめたりした歌があって、そういう形式も自分からまったくのオリジナルで生まれたんじゃなくて何かインスピレーションを受けたものがあったのですか? 絵文字とかも短歌じゃないにしても詩とかそういう他の分野でインスピレーションを受けたものとかありますか?

荻原:先鋭的な表現としてインスピレーションを受けたというのはないかな。とても普通のものとして一部では一般化している書法という気がしていたから。表現以前の日常的な手紙なんかでは実際にああいった記号をまぜたような書法はわりあい普通に使っていたしね。あのコンテクストで「▼」が爆弾に見えない人がいたのは、短歌では例がなかったんだからしかたないんだけど、でも、それにちょっと驚いてしまったほどに普通のものだと感じていました。

橋元:もうそんな意識だったんですね。

荻原:マンガや映像の文化になじんでいた人は、たとえ同じものは見たことがなくても、すぐにわかったんじゃないかな。むしろ記号での表現を、さして珍しくもない書法だといった角度から批判する人が出るんじゃないかとさえ思ってました。ただ、さきほども言いましたが、ぼくは、珍しさを狙っていたわけじゃなくて、短歌の可能性を広げるといった感覚だったので、わからないという反応が出てしまったのには戸惑いました。わからないことはないと思ったんだけど……。

橋元:ものすごく自覚的だったんですね。

荻原:『あるまじろん』のような「記号短歌」は、書法としては珍しくないかも知れないけど、他に例がなかったわけだから、いろいろな意味で、自覚的にならざるを得なかったと思います。記号を使っていない作品よりもむしろ、伝統的なリズムの問題とかその他のテクニカルな短歌の約束などがうまく機能するかしないか、かなり意識していたかも知れません。

「五冊で一冊」効果

五島:『デジタル・ビスケット』を出してからの反響というのは?

荻原:書評や時評で出ているものはそちらを直接読んでいただくのがいいと思いますが、ぼくのところに私的に伝えてもらった反応で言うと、『永遠青天症』を読んで『青年霊歌』の頃に戻ったという印象をもった人が大勢いらっしゃって、軽い驚きがありました。実際にそうなのかどうかは自分では判断しきれません。戻したという意識はまったくないです。『永遠青天症』は、「記号短歌」以降のエッセンスの入った文体になっているはずですから、それがこなれて『青年霊歌』のときくらいに伝わるようになったと、自分に都合のいいように解釈しています。それから、五冊の歌集をまとめて読んだら、特に『あるまじろん』と『世紀末くん!』の印象が変わったという声もありました。印象が変わったというのは、ほとんどが、以前は違和感しかなかったのに、通して読んだら共鳴できる部分が出てきたっていうもので、これはとても嬉しかったし、こちらの編集で意図したことが功を奏したようでよかったなと思いました。特に『世紀末くん!』の作品は、作者側の考えをすぐに完璧に理解してくれ、というつもりで書いたわけじゃなく、共感に簡単に機能してしまう表現では消えてしまうような何かが、手触りとしてそこに残るような文体をめざしたわけですから、時間をかけて読んでもらうのがいちばんですし、拒絶していた人になじんでもらうには、『デジタル・ビスケット』のような五冊で一冊という構成はよかったのかも知れません。

橋元:もちろん、はじめに言いました「荻原さんのある種の拒絶的な表現」というのは最終的なところでの拒絶という意味ではなくて、方法としての拒絶といいますか、これが分からないということではなく、なんか分かったような気がするんだけど、でもやはり引っかかりますよねえ。引っかかりの強度で、むしろ伝達手段にしてしまうというか、理解を暗に促すというか。

荻原:『世紀末くん!』の文体に対しての反応で、最初に読んだ時は違和感を感じていたけど読んでいくうちになにかそれが自然な文体のように思えてきた、というのがおもしろかったですね。加藤治郎さんが「NHK歌壇」の「修辞の旅人」(一九九九年)というコラムでそんな批評をしてくれました。他にもよく似た反応がありましたが、あのレトリックって、意味がぜんぜんわからなくても慣れるんだそうです。

橋元:この『デジタル・ビスケット』の解題でも穂村弘さんが「これは詩ではない」という言葉で表現されてましたが、これと同じような感覚かもしれません。

荻原:加藤治郎さんも穂村弘さんも同じ箇所に反応してくれているんだけど、受けとめ方の違いで評価が正反対になったりもしますね。穂村さんの「詩ではない」というのは、あきらかに批判なんですが、方法論を読みきった上で全面的に否定をかけてくるのは、伝わっていないこととは根本的に違っていて、ぼくとしては、伝わっているということがともかく嬉しかったですね。昨年、川本千栄さんが、「勝手に合評」という同人誌(特集「ニューウェーブ世代の歌人を検証する」)で、ぼくの作品の語彙分析というのをしてくれて、「虹」とか「水色」とか、そういったことばが頻用されて、くどいとか飽きるとかっていうことを書いていました。違和感を想定して、歌集単位で特定の語を繰り返し使って慣れさせてしまおうなんて考えもあったし、その繰り返しがあるからこそたぶんわかったんじゃないかと思うんだけど、一度わかってしまうと今度は、その繰り返しが鼻につくこともあるんでしょうね。この分析はとても面白かった。

阿部:最初に違和感があるものは、違和感が強くなれば強くなるほど、いざ受け入れられるようになったときの深さ(文体の強度)が強いと思うのですが。違和感があるものはそれだけ可能性を秘めているものなのではないかとも思います。

第二部

短歌地図の島と島を

橋元:では、ここらで第一部終了ということで。第二部では、作品や歌集というよりはラエティティアやネットプロデュースという話になっていくと思うのですが、そこで「場」という言葉も同時に考えていきたいと思います。「場の変容」ということをおっしゃいますよね。この意味での「場」というのはある支配的な価値体系と捉えてもいいでしょうか。そういったものが変容したために歌壇全体が相対的な地図を見るようになってしまったというような。

荻原:はい、そうですね。「場」ということばは、パラダイムということばにとてもよく似ていると思います。パラダイムって時代全体に対して言うわけですが、短歌の世界での「場」は、大きな意味では同時代に包まれた、少しローカルなエリアでのパラダイムだと考えればいいんじゃないでしょうか。ぼくは、岡井隆さんが『現代短歌入門』で語った「場」とほとんど同じ意味で使っています。

橋元:それによって地図が生まれるようになって、ということに関して、この状況で批評しようとした場合には、みんながみんな相対的な関係の中で自分の姿勢なり自分の基準を提示することのみに終わってしまうような気がする、という記述もあったとおもうのですが。(「二〇〇一年と場の問題」「中部短歌」2001.4掲載) 明確な是非をいえるような基準はないと。すべての歌について、みんながみんな自分の姿勢や自分の基準を示すという形で言及することに留まってしまうと。さらにそこから展開して、すべての歌が、ひとつの価値によって全部裁けてしまうような、そんな価値体系を構築することが必要だという記述だったと思うんですが。(「口語短歌の現在、未来」対談/荻原裕幸・穂村弘「歌壇」1999.12掲載)

荻原:それは、一九九九年の終わりに穂村弘と対談したときに語ったことかな。「歌壇」に掲載された「口語短歌の現在、未来」(DIGITAL BISCUITに再掲載)。表現の多様化がすでに飽和状態であるという話ですね。つまり、伝統的なリアリズム、たとえば「アララギ」のリアリズムをベースにその良さを守っている人たちもいて、前衛短歌ベースの一九七〇年代頃までの価値観のなかで書いている人もいて、さらに一九八〇年代以降は、男性主体の世界観を崩した一群の女性歌人もあらわれて、若い世代は、サブカルチャー、少女マンガやSFとか何でもかんでも取り入れて新しい世界をひらいたし、短歌全体が、何でもある場になっているわけです。『サラダ記念日』が出たら俵万智さんの影響がひろがり、『シンジケート』が出たら穂村弘さんの影響がひろがるというのは、とても健全なことだと思うんですが、歴史的な価値観もふくめて、あまりにも健全に影響がひろがりつづけた結果、表現が多様化しすぎてしまって、奇妙な感じになっているんですね。短歌全体は、何でもある場なんですが、じゃあ何を書いてもおもしろがってもらえるかというとそういうわけじゃない。小さな場が無数に発生していて、その小さな場の個々の価値観にそった作品だけしか認めないわけです。一方の場では絶賛される作品が、別のもう一方の場では相手にもされないなんてことも珍しくない。これではただばらばらになってゆくだけでしょう。極端なところまで進んでしまうと、最後は一人一人の価値観がそのまま最小単位の場になって、他人の作品にも誰も見向きもしないということになってしまう。だから、そうした小さな場と小さな場をどこまでもつないでゆくような価値観が必要になると思ったんです。統一的な視点が打ち出せなかったら、ばらばらの状態はただばらばらのままになってしまう。女歌にしても、ライトバースにしても、ニューウェーブにしても、一九八〇年代に拡散していった表現の位相というのは、ただ拡散させることを目的にして拡散していったわけではなく、短歌という総体のなかに何かを回収するための動きとして大きな意味を持っていると思うんですよ。それで統一的な視点をと考えているわけです。

橋元:では、最終的に何か本当の基準が存在しているはずだということではないんですか。

荻原:いや、そうした唯一の基準があるとか、真の基準が実は存在しているとは考えていません。それは微妙にニュアンスが違うんです。みんながみんな一つの価値基準に従って作品を読むのは、逆によくないと思っています。複数の価値基準が乱立していることは、それはそれでごく自然なことで、どこも悪いわけじゃないんですよ。ただ、価値の基準と価値の基準の間をつないでゆくような考え方ができるかどうかが大切だと思うんです。そもそも一つになってしまうのはおかしいし、なんだか全体主義的で嫌です。そんなことを望んでいるわけじゃなくて、たとえば、ぼくの作品が、一見「アララギ」的なリアリズムを批判するような表情をしていたとしても、どこかでリアリズムを肯定している部分もあるわけなんです。同様に、前衛短歌でも一九八〇年代でも一九九〇年代でも、どこかで批判していてどこかで肯定している。どこがどうかって細かく分析できないようなアナログ的な感じで、そうした価値基準の間をスライドしながらつながっているところがあると思うんです。一つの小さな場に固執してしまうのは、本来アナログ的な基準を、自分たちの解釈で、デジタル的に継承してしまう。つまり劣化させてしまうことにもつながるんじゃないかな。何か一つ方針を決めて生涯それを貫くというのも作家として立派な姿勢かも知れないけど、新しいものを開拓してゆくという意識も大切でしょう。だから、複数の短歌観に接して、デジタル的にいいとこどりをするのではなく、自身が可変的になって、場と場とをつなぐような価値観を構築してゆくのもいいんじゃないでしょうか。

橋元:その繋げ方ですが、価値体系を示すことで、「場」として共有できるファクターが結果的に増えていくような本が、例えば入門書の形をとって出されていると感じます。ある「場」の増強というか、普遍化というか。

荻原:そうそう、そう思います。従来の歌論や短歌入門というのは、異常なまでに排他的でしたよね。許容範囲が極端に狭くて、どんどん狭い範囲へ狭い範囲へと短歌をおしこめてゆく。一つの場にどれほど強くくいこむかが問われていたような気がします。島木赤彦の『歌道小見』とか読んでいると、これは良いこれはだめというのが、そこまで言うか、というくらいに過激に狭さを貫いています。むろんそこが魅力で人をひきつけたわけなんですが、それはその時代のものだったと言っていいと思います。現代は、少なくとも一九七〇年以降はもうそういう時代じゃないです。むしろその時代とは逆に、許容範囲をどこまでも広げてゆくわけですよ。たとえばこういう角度から見ればこんなことが許容されるし可能だ、こういうところに目を向ければこういう可能性がひらけてゆくという具合に展開する短歌入門が増えているようです。現代ではたぶん守備範囲の広い方が、作品や世界観の豊饒さにつながるということなんでしょうね。比較的かたい感じで書いている人でも、たとえば栗木京子さんの岩波ジュニア新書の『短歌を楽しむ』などは、できるだけ近代短歌の伝統にそいながら、いろいろなところに目を向けてゆこうっていう姿勢がはっきりあるし、穂村弘さんのように現在を中心に書きおこしている人でも、斎藤茂吉だ、葛原妙子だ、塚本邦雄だって熱く語る部分も大きな要素になっています。『岩波現代短歌辞典』にも同じ傾向がありますよね。あれは、短歌の表現史辞典になっているんですが、主流の表現だけをあげて傍流を捨てるのではないし、何が良くて何がだめなのかを辞典化したのではなく、さまざまな表現や試行を、短歌史という博物館に入れてしまわず、ユーザがつねに活性化させられるものとして提示しています。骨格を強引に組み立てるのではなくて、輪郭をゆるやかに描いているんですね。その他も、全体に大きく傾向が変化してきていると思います。一つの理念にしぼりこんでゆかない、理念自体が複数あるのだというところを見せる方向に……。

「歌葉」の可能性

橋元:そこでやはり「歌葉」というものも出てくるんでしょうか。

荻原:ああ、そちらへ話をふってくれてありがとう(笑)。そうですね。ビジネスという側面がありますから、理論で「歌葉」を語ってゆくのは無理が生じると思いますけど、従来の「場」の中から、いろいろな意味でこぼれてしまっている大切なものを前面におしだすための、選択肢の一つにはなっているんじゃないでしょうか。ホームページを見ていただくと、そのあたりの感触はおわかりいただけるんじゃないでしょうか。歌壇系の出版社から出すのは、どうもちょっと違う感じがするというもの、かと言って純粋に商業出版としてやってゆくのもまたちょっと違うというフィールドって、かなり広がっているんじゃないかと思うんです。加藤治郎やぼくがアドバイスしたりプロデュースしたりしながら、そうしたものをできるだけ適したかたちにしているわけです。それに「歌葉」が選択肢であるという意味は、作品の傾向の問題だけじゃないんですよ。たとえば、松平盟子さんの第一歌集『帆を張る父のやうに』は、少部数で出版されたまま長く絶版になってしまっていました。それをまともに復刊してしまうのは、多額の費用を投じたり、在庫を抱えたり、いろいろ大変な側面もあります。それでコストが比較的安くて、在庫を抱える必要のないオンデマンド出版で、というような発想が生じたわけなんです。「歌葉」は、まだまだ未知の可能性を抱えたシステムなので、ゆっくりと活用方法は考えていきたいと思ってます。このあたりは、さきほどの「場」の話とダイレクトにはリンクしていないかも知れないですけど、歌集の在り方というのも、価値基準の在り方にどこかでつながってゆきますね。歌集という概念を刷新することで、やはり「場」の問題に与える影響というのはあると思うんです。「歌葉」には、その歌集という概念にすこし新しい何かを付け加える試行という意識があります。ちょっと話が戻りますけど、さきほどの『デジタル・ビスケット』にしても、あれを「全歌集」というスタイルで刊行したのは、やはり一つの実験というか、「歌葉」で歌集の概念をすこし変化させてみたいというのと同種の試行の意識がありました。ささやかな試行かも知れないけど、歌集をどうやってまとめるかどう構成するかで、読者に与える何かが変わるわけじゃないですか。自己のかたちが微妙に変わってゆくんです。『デジタル・ビスケット』っていうのは、従来の方法とは少し違ったかたちで自己を変型させる、伝えたいことをもっともうまく伝えられるかたちで変型させる、その可能性みたいなところを模索してみたものです。「歌葉」も、そうした歌集という単位での「場」の力をうまく働くように意識してつくりあげてゆく、自由度の高いシステムだと言えるかも知れませんね。自分自身にふさわしいかたちが、必ずしも従来の「場」のなかにあるとは限らないんだから。

新人賞と「場」

橋元:新人賞にしたって、「短歌研究」に出すのか、角川に出すのか、「歌葉」に出すのか、あるいは「短歌WAVE」に出すのかっていう話も、実際にはあると思うんですよね。こっちの体系ではきついけど、あちらの体系ではわかってもらえるのではないか、という。この点などには、その「場」の問題の断層がはっきり見えているのかもしれないですね。

荻原:そうか、みなさんの位置からは、新人賞の話がいちばん「場」の問題が見えやすいのかな。いま例にあがった、短歌研究新人賞、角川短歌賞、北溟短歌賞、歌葉新人賞、それに本阿弥書店の歌壇賞とか、すべてに共通しているのは、たぶんきわめて初歩的な表現力みたいなものが問われるというところだけで、あとは傾向がかなり違っていますね。選考委員も、かなり頑固に自身の短歌観を反映させた選をしているようですし。もちろんテクニカルなものが問われるときでも、総合誌系の新人賞はかなり間口が広いですから、リアリズムのいろはを知らないからだめ、みたいな、そういう切られ方はないでしょうし、選択肢が豊富という状態なのかな。北溟短歌賞、歌葉新人賞が加わったことで、新人賞の地図に少し変化が生じはじめているかも知れませんね。多数の賞ができてしまうと、賞の「権威」というようなことから言えば、かなり薄められるわけですが、それはむしろ望ましいことだとぼく個人は思うし、純粋にまとまった作品を書くきっかけ、読者に読んでもらうきっかけ、活動を大きく展開するきっかけ、歌集を刊行するきっかけとして機能するでしょう。歌人が、特にみなさんのような若い世代の歌人が活動するための「場」が大きく変化しますね。歌葉新人賞ももちろんそうしたぼくたちの願いみたいなものもこめて創設したわけです。力もあるしおもしろいのに、従来の「場」ではぜんぜん違う傾向の人ばかりが顕彰されてしまって活躍の機会をなかなか得られないという人、いるんですよね。そういうのをすごく不思議に思ってたんです。良いなあと思う作品がちっとも浮上してこないわけだからね。だから、そういう人たちの活動の、サポートみたいなものも少し意識している。それは、ぼくたちにとっても、自分たちの短歌観が短歌の世界に反映されるってことにつながりますから。北溟短歌賞や歌葉新人賞が、みんなからどんな風に見えているのかわからないけど、いちばんわかりやすい特徴は、たぶん従来の新人賞にあったある種の「かたさ」がほぐれたような感じじゃないかな。硬軟の幅が広がったというか。

五島:「歌葉」とか「短歌WAVE」っていうのは、「場」と「場」を繋ぐというより、いきなり予期せずに出てきた、という印象をもたれる方も多いと思います。むしろ新しいものを作ろうっていう力が働いていたのかな、と。

荻原:それは要するに、今までこういうフィールドがあって、仮に理想の地図がこういうものだったとすると、ここをだんだん広げてくんじゃなくて、ここら辺に島を二つくらい作ると、全体の力バランスがこうなっていくってことなんじゃないかなあ。北溟短歌賞は、もちろん北溟社の仕事なんで、ぼくたちに直接のかかわりは無いんだけども、たぶん編集者が情報のヒアリングしてるのは、ぼくたちと同じ世代のはずだし、どこかで感覚を共有している部分があるんじゃないのかな。

橋元:最終的なところに据える価値の差で、批評用語も変わってきますよねえ。たとえば「内圧」、なんていうことを持ち出してくれるかっていうと。個人的にはこういうところにやはり自分の歌を出したいという気持ちにはなりますね。何かしらそういうところで力が動くと思うんですよねえ。

荻原:歌壇特有の批評用語っていうのがあって、それは短歌史にべったりはりついたものだから、歴史を遡るようなかたちで短歌史を深く意識していない状態では、あまり意味のない感じがあるかも知れないね。短歌にかぎらないもっと普遍的な批評の用語というのもあるんだけど、それはそれで短歌の世界に流通していないので、使うとかえってわからなくなってしまう面があるんだよね。だから「内圧の表出の仕方」とか、ある程度は一般化された語彙をひねってゆくような感じの批評になるんだと思うよ。正確にとか精密に伝わっているかどうかはわからないけど、作者と読者、この場合の読者は選考委員ということね、の間で、なにがしかのコミュニケーションが成立しているのは感じられると思う。でも「ストライクゾーンそれてる」とか言われても、何それって思う人もいるんじゃないかな。匙加減はむずかしいですね。一応はこれまでの批評用語とか歌壇的な批評用語との互換性のあることばをつかっているつもりではいます。研究や評論については言えば、歴史性のあることばでどこまでも掘りさげてゆくってことが良いような気もするんだけど、新人賞の選考なんかでは、「7番ピンが一本残った」みたいな表現の方がみんなわかったりするから不思議だね。共有しやすいし浸透しやすい。危険な面もあるのは自覚してますけど。たとえば「この作品はストライクゾーンからボール二つ分はそれている」とか言っちゃう場合ありますよね。こういう言い方してしまうと、すべてこれの応用で言い切れてしまうんだよね。感覚的にはわかっても、吟味が深いところまで及んでいるかどうかが伝えにくい。根拠がないわけだから、じゃあボール一つそれているのとボール二つそれているのってどう違うのって考えても掴みようがないんです。だからどこかで、歴史性のあることばの方向へ収斂させてゆく必要もあるわけなんだけど、よくわからないことばで批評してわかるまで勉強してという感じに突き放すよりは、入口はわかりやすくしておいて、つきつめてゆく必要が出たところできちんと歴史性につなげてゆけば、それがいちばん効果的じゃないかな。専門的すぎると内容のない批評パターンに陥りやすいし、あまり入口をひらきすぎるとやはり内容を説明できない空疎なものになるし、批評はほんとにむずかしいですね。いずれにしても、生きたことばとして人に伝わるようにコミュニケーションしたいと思います。

阿部:それは、違うんだって前提の下で、それでも少しでもつなげたいっていうことを思っていらっしゃるんですか。

「第三の体系」を認識すること

荻原:うん、そう、こうして離れちゃってる島と島がつながっていくようにね。つながっていくというのは、何と言ったらいいかな、自分が楽しむことのできるフィールドがそれだけ広くなってゆくというよろこびがあるんですよ。自分の現在の世界観が届く範囲内で、そのフィールドだけで書いているってことは、「外」には絶対出られないってことじゃない。それじゃ狭くてつまらないと思う。強固な理念をもてばもつほどその「場」のなかだけしか通じない世界になるよね。その「場」があらかじめ大きいものならば、そうしたスタイルに甘んじる選択もあるのかも知れないけど、現在のように小さな場が狭く狭くいくつにもわかれているような状態では、「場」のなかでしか通じない世界ってほんとにちっぽけなものになってしまうし、一見とても真面目に「場」の磁場に従っていればいるほど、狭いところに入っていってしまうわけです。だからやはりつながって、一歩一歩「外」に出てゆくのがいいんじゃないかと思うんです。はじめから不特定多数がいるような大きな「場」に向かって何かを語るのは無理かも知れないし、効果的かどうかわかんないんだけど、最終的にはそこをめざしてゆく感じかな。まずはいくつかの島をつないだ状態、自分が有効に表現することが可能な状態から、徐々に範囲を広げてゆけば、つねに自分を現状での最大限に活かしたかたちで、「外」に向かって広がってゆけるんじゃないでしょうか。ええと、たとえば、クラシック音楽を好きだとして、もう一方でポップスが好きだとしますよね。そういうとき、クラシックはクラシックで、ポップスはポップスで、それぞれ別のものとして創ったり享受したりしていても、心底の充実みたいなものは得られないんじゃないかと思うんです。クラシックも好きでポップスも好きで、その間をつなぐことができたときに、ほんとの充実みたいなものがその人に訪れるんじゃないかな。それと同じで、短歌でも、異なる二つの「場」で、それぞれの「場」の磁場にみあった作品を書きわけるなんて変でしょう。既存の歴史的な価値を求めるような作品を書くかたわらで、新しい俗をもおそれないような価値を求めるような作品を書いているって変ですよ。実はそれら二つをつなげるような第三の体系が自己のなかに存在できるから、二つにひかれるのだと考えれば、第三の体系をなんとか見つけだして、というか、きちんと認識して、二つをしっかりつなげてゆくことが必要じゃないかと思います。仮に二つともを完全には好きじゃない場合でもこれは同じで、つながることによって充実は強化されてゆくと思います。

橋元:でも第三の部分は既に自分の中に予定されている、ってことですね。で、それは出力したときにはじめてそれとわかるというようなものでしょうか。

荻原:予定されているというか、なにがしかが準備されてゆくという感じかな。出力された瞬間に自分ではわかるような気がしますが……。ものすごく単純化してしまえば、A歌会っていう「場」があって、同時に、B歌会っていう「場」があるとき、Aでは良くてBでは相手にされないっていう歌は、A歌会の磁場にのみ偏向しているわけじゃないですか。A歌会の磁場でもB歌会の磁場でも突出してゆくようなものとして第三の体系っていうのがあるし、あらわれるんじゃないでしょうか。島をつなげてゆくってシンプルに言えばそんな感じだと思います。A歌会ではA歌会向きの歌をつくってB歌会ではB歌会向きの歌をつくるっていうのがだめなんじゃないかな。塚本邦雄が斎藤茂吉のこの歌が良いと言うとき、何かつながってゆくものが見えてくるような、そんな感じ。

縦軸を立てること

五島:それに関して、穂村弘さんとの対談の中に図が出てきたんですけど、この図を縦に突破していくようなものが求められているのではないか、というお話でしたが。

荻原:そう、立体化させるような感じですね。現在は平面に広がっているので。

五島:その縦軸の性質がすごく問題になると思いますが、いかがですか。

荻原:個人個人でかなり違ってしまうし、特定の性質を帯びるわけじゃないです。いろいろ可能性はあると思いますよ。ともかく縦軸を立てて、試行してみて、ずれを調整してゆく。穂村弘さんは、ちょっと抽象的だけど「愛の希求の絶対性」なんて言うでしょう。そのキャッチフレーズだけではわかりにくいところが多いけど、仮定の縦軸を立てて、そこに到るための納得できる筋道をあとから探してゆく。順序としてはそれで正しいんじゃないかな。ぼくは、特にキャッチフレーズは立てないけど、『永遠青天症』は、現在的な縦軸を仮定してまとめているわけです。『青年霊歌』から『世紀末くん!』までが同時にたつような縦軸ということです。

歌葉新人賞!

橋元:それで実際に「歌葉」ですとか、ネットの上でのそういった取り組み、つまりこの地図の「歌葉」からのアプローチが続いているわけですけれども、今回ついにそれが新人賞を設定するところまでいったんですよね。この島がシーンに及ぼす影響っていうのはかなり大きなものだと思うんですが、こういったお仕事についての手ごたえや感想についてお聞きしたいです。

五島:歌壇からの反応なんかもあれば、お願いします。

荻原:簡単に言うと、ぼくたちが、このあたりに優秀かつ求めている才能が大勢いるはずだというフィールドに、「広場」みたいなものをつくったという感じになるでしょうか。「広場」があれば、きっと何かがはじまるんじゃないか、みたいなね。むろん他力本願ということではなくて、一緒に何かをするつもりでいますし、すでにそれははじめているわけですが……。それで、「歌葉」はインターネット上の「広場」なので、歌壇からの反応というのはわかりにくいですね。歌壇とはダイレクトにかかわらないマスメディアからの取材なんかは多かったですよ。いずれもシステムに注目しているものだったので、まだまだコンテンツについてはこれからの話になりますけれど。さきほどからのみなさんの印象をうかがっていると、既成の歌壇だけでは不足していた何かがいきなりあらわれたっていう感じでしたが、むしろぼくにはそれがよく見えていないかも知れない。

橋元:そうですね。だから「歌壇からの反応は?」という問いが成り立つんだと思いますが。

五島:では質問を変えますが、応募者にはどういった方が多かったのでしょうか。

荻原:そうですね、ウェブやネット歌会をベースに活動している人が圧倒的な多数を占めていたようです。作品を読ませてもらうかぎりでは、他の新人賞に応募したことがなさそうな人、もしくは他の新人賞の上位では見かけないような作風の人が多かったと思います。あと、川柳作家が何人か応募していました。このあたりもインターネットならではの現象かも知れません。歌歴がほんとにしっかりあって、という感じの人はほとんどいなかったですね。まあそういう人は他の新人賞でも少数なわけですが、たぶん歌歴が長い人にとっては、歌葉新人賞は、出しにくいところがあるんでしょうね。でも、まあ、まだ一回目の、しかも途中だから、細かいところはわからないですよ。反応というほどの反応もひきだせる段階じゃないし。

五島:「島の話」じゃないですが、今のお話はとても大づかみに言えばネットと結社、というようないくつかの共同体に、応募者が分かれている傾向を表しているように聞こえますが。

荻原:あ、それはどうでしょうね。インターネットで短歌をはじめた人の多くは、結社のことはほとんど知らなかったりするわけです。応募者のなかには、自分にはこちらがふさわしいと選択した人もいるでしょうけど、棲み分けみたいなことを意識した応募者はそれほど多くないんじゃないかな。結社とネットというような対立構造を考えている人は、ネットにはあまり存在していないと思います。ネットがあって短歌がある、というだけで、結社にそもそも接触していない人が多いでしょう。その人たちは、もしかすると、結社に接触する機会があれば、そちらに流れてゆく可能性もある人たちじゃないでしょうか。もうすこしデータを整理してみないとわからないですけど。「歌葉」とか「短歌WAVE」とか、みなさんにとってはどんな感じなんでしょうね……。

橋元:そうですね、ただ、そう細かい島であるとは思わないんですよね。この「歌葉」とか、今図示していただいたこの絵とかが。これから同じような質感を持った島がぽこぽこできてくるというようなことも思わなくはないですが、そんなことより、まずこのようなものができたということが大きくて、楽しいですね。

広場を。

荻原:若い世代の抱いているイメージがまだよくわからないです。ぼくたちのサイドとしては、いろいろな意味での間口が確実に広がるようなもの、可能性が広がるようなものを企画したいと思っているんです。もちろんそこが自分の居場所でもあるという意味を含めてね。既存の歌壇というのは、どうしても、内側に向かって強く機能してしまう部分がありますし、ものすごく強力な磁力を発しているわけですよね。たとえば、新聞の文化面みたいなものをイメージしてもらえばわかるけど、もし一面に載っていたらどうやって受けとめていいのかわからないものが、ある特化された「場」で、その体系に従って展開されているってことがありますよね。社会という場所からすると多少歪みがあるようなことが、強力に機能していたりする。その一方に、完全に商業スタイルで展開されている短歌の世界もある。枡野浩一さんなんかはそうした「場」で、全方向に向かって問われているわけですね。売れるか売れないかというのがそこでの一つの指標になるわけで、ある意味でものすごく魅力的な世界なんですが、これもやはり極端なんですね。そうした極と極の間に、よく見ればかなり広い空間があるのに、これまでたぶん何もなかった何もそこでは起きなかった、誰もそこにいていいとは思ってなかったんじゃないかな。もしかしたら、そこに何かが生じたとか何かが見えたというのが、「歌葉」などの意味の一つかも知れないですね。こういうところがあって歌壇の外回りが、あるところから外しか無かったりとかさ、こっちにこう普通の世界があったんだけど、こっちにはぽつんと離れ小島のように歌壇があって、ここからここまでの間に何かあるはずなんだけど、まだわからなくってっていう、そういう中間的なエリアじゃないかな。だからこの島の中から見るとあっちはかなり特殊なものだし、あっちの、つまり外のエリアから見ると、こっちはちょっと広い島の中にあるという感じでとられるかな。歌壇から見ると、こういうのが自分たちと同じ歌人が書いたものだと思えない、というような感想をもたれるものもあるんだけど、じゃあ一般的な読者がそれを見てどんな印象をもつかというと、わたしにも読めるとても好きな作家という可能性もあるわけです。俵万智さんの『サラダ記念日』は、明らかに万人に愛されるというイメージがあるわけで、ここの図でいう中間的な部分から外側にかけて潜在的な読者を持つし、加藤治郎さんにしても、同じような問題意識をずっともっていたので、この企画が出せたわけです。仲間がいるはずなのに集まるべき「広場」がないというような状態が、この中間エリアにあったんじゃないかなと思います。ある価値観を共有するもの同士がいるはずなのに、そこにメディアがなかったんですね。

五島:周囲、外側に向かって堀を埋めていこうとしていらっしゃった訳ですね。

荻原:堀って言っても、どちらに城があるかよくわからないんだけどね。つなぐという意味では、まさに堀を埋めるという感覚でしょうね。真ん中と外側、真ん中と歌壇っていうのは、隣接してるわけだから、本来はちょっと歩いていけるところにあるわけなんです。だけど、そこが堀になってしまっていると、歌壇からちょっとでも外に出て行くことが、ものすごく特殊なことになっちゃうんですね。堀をこえていきなり外側まで行ってしまうわけだから。林あまりさんの活動などは、歌壇の真ん中に近いところからちょっと外出するくらいの感じで動きはじめただけだったのに、気づいてみたら外側に着いてしまっていたみたいに見えますね。中間的なところに行くつもりだったのに、そこが堀だったので、飛び越えて外の方に行ってしまったという感じかな。まだ歌葉新人賞も決まったわけじゃない(編集注:インタビュー当時)し、あまりはっきりしたことが言えるわけじゃないんだけど、外側の人が中にすこし近づける場所、内側の人が外にすこし近づける場所みたいな、見えない中間エリアに手をふれることができたことが重要な部分かな。

類型への共感を超える

五島:全く見えないものの手触り、ということで言うと、穂村弘だったらたとえ全く孤立した島であっても「愛の希求の絶対性」っていう縦軸を立てれば真空を伝わって届く、とおっしゃると思うんですが。

橋元:点在する島をその縦軸によって統合する。「本当の」島は一つしかない、という思いがなければ、ただ相対的なものになってしまいます。それは寂しい気もします。

荻原:むずかしいことを言うなあ。穂村弘がどう言うかはわからないけど、彼は作家としては異常なほどのリアリストで、ロマンティックな希求を実現するためには、現実的にどのようなことが必要か、という発想をもつでしょうね。ぼくも、その点ではロマンティックな夢をもっていたりはしません。できることを、触ったところにあるものの感触を一つ一つ確かめながら、進んでゆくしかないって感じです。ばらばらの島、ばらばらの「場」を縦軸で統合するっていうのは、他者を自己の縦軸に従属させてしまうということではなくて、むしろ他者が他者であることをたしかめてゆくような感じです。あなたとわたしは違う人間です、あなたはあなた、わたしはわたし、ということを共有・共感してゆくわけです。価値観をほんとに統合しちゃったら、楽しくないような気がするんだけど、共感をどこまでも追い求める方が楽しい?

橋元:メタ共感って感じでしょうか?

荻原:はい、そんな感じですね。特定の項目をたてて比較すると、人間は、何らかの類型に分類されてしまう。でも素のままで見れば人間一人一人はまるで違うわけじゃないですか。失恋した男性に対して、女性は星の数ほどいるじゃないかって慰めがあるよね。事実女性は星の数ほどいるわけなんだけど、ふられた相手はその女性一人しかいないわけでしょう。だからその失恋のいたみはその女性と恋愛しなければ解消されないはずなんだよね。ところが、女性とか恋愛の対象とかそういう類型で見てしまえば、別の相手でも失恋のいたみが解消されちゃうわけです。こういう視点の変え方は、単純に見えても、世界の表情を根本から変えてしまうんです。で、別に失恋のいたみにうちひしがれたいわけじゃないんだけど、一人一人がまったく違う存在なんだって実感できるようなコミュニケーションがしたいんですね。類型として、他者と共感を深めてゆくのは別に構わないし、事実視点の問題によって類型ではあるんだからそれを否定することはできない。それはそれでいいんです。ただ、類型でくくったときには見えないような世界の表情が見たいんだよね。それができれば幸せだと思います。さきほどから話している「場」と「場」をつなぐっていうのは、類型としての共感を深めてゆくことから離れてゆくことを意味してます。一つの「場」の磁場を強めるっていうのは類型でものを見てゆくことですから。

作歌のテンション

阿部:私は宇多田ヒカルがすきなんですけど、彼女の曲を聞くと頭のてっぺんから背骨が通ったような気がして、ああ歌が作れるって思うことがあるんですね。そういう状態で作ると自分の思いと言葉がうまく結びつくってことがあるんですけど。荻原さんは歌を作るときにどういう状態で作るんですか?

荻原:どうでしょうね。締切みたいな物理的な条件、何月何日までに何首書いて下さいっていうのが現実的に眼前にあるから、まずそうした条件に影響を受けていることが多いような気がします。歌会などでその場で歌を書かなければならないときはベストのコンディションにまでもってゆけなくてもむりやり書きますし、逆に締切までに余裕があるようなときは、いろいろ本を読んだりマンガ読んだり音楽聴いたり映像を見たりしながら、新しい刺激を求めて、素材のメモや大枠のメモをつくっていって、自分のなかでことばを熟成させてゆくような感じかな。ヒッキーを聴いてテンション上げて歌つくるってことはあんまりないよ(笑)。

阿部:取っ掛かりは違うんですよ。自分にとって衝撃の大きいことであればあるほどそれに伴って感情の放出をしたいって思いが強まる。だから取っ掛かりは宇多田ヒカルではないんですけど。あくまで感情の表現をしたい短歌を作りたいという段階になって宇多田ヒカルを利用したいということなんです。で、私の場合は実際に何かが起こってそこから衝撃を受けて作るということが多いんですけど、荻原さんの場合はさあ短歌を作ろうって、ここにある何かについて考えて作るんですか? それとも日常生活の中で何か?

荻原:あらかじめ決まっていることは何もないです。大枠を決めていることはあるけどね。これから一年くらいはこんな感じのところをまとめようとか、そういうのはあるときもあります。ただ、今度の歌はこれでいこうってそれが決まっていることはないなあ。いろいろな情報が入ってくるなかで何か、あ、これいいな、と思ったら、その刺激を自分なりにパラフレーズして実現してゆくような感じかなあ。短歌でそういう刺激があれば短歌が元になることもあるし、それ以外のもののときもある。俵万智さんの『サラダ記念日』を読んだときにはそれが大きな刺激になったし、新古今の時代の作品から刺激うけることもあるし、戦前の短歌なんていうのもときどきあるかな。ほんとに良いものを見ると、自分が嫌になるってことあるでしょう。そんなときに自分の何かを変えたいとか刺激うけたりしますね。

阿部:頭のてっぺんから背骨通るって感覚はありますか?

荻原:鳥肌が立つとかそういうのならわかるよ。「背骨通る」っていうのはどうだろう(笑)。短歌ではそうそう起きるものじゃないと思うけど、音楽なんか聴いたときにはあるかも知れないですね。ぼくが刺激をうけやすいのは、テレビみたいな、作り手の表情が見えるようなものが多いかな。小説は、ストーリーがあると、はじまりから終わりに向かってゆく一つの時間の流れにおさまるものがほとんどでしょう。単純にそうした一つの流れに没入してゆくものじゃなくて、制作サイドの自意識が見えるのが楽しいかな。

宍戸:ドキュメントですか?

荻原:ドキュメントと言うよりはドラマ。テレビドラマが好きですね。NG集が付いていたりとか、番組に関連するようなCMが挟んであったりとか、メイキングがあったりとか、特殊な角度から作り方が見えるのが好きです。そういうドラマの外枠の構成みたいなのは、歌集の構成するときの参考にもしてます。具体的にどれがどれを参考にしたなんてのがあるわけじゃないですけど、どこか潜在的に意識してます。

橋元:複数の視点が存在するような感じですか?

荻原:うん、そうそう。根はわがままだから一人でなんでもやってしまいたいところがあるんだけど、ところどころに他者の視点がまぎれこんでいるのが好き。スタッフみんなでつくってるなって感じられるものにあこがれるんですね。ああ、ああいう風にまとまってゆく仕事がしてみたいって。原稿書いてるときに孤立感があるから感じるのかも知れませんね。

五島:一番嬉しい瞬間って何ですか?

荻原:日常生活で?

五島:あ、なんでも……。

荻原:なにがあるだろう、ぼくはふつうのことがふつうに嬉しいよ。物欲っていうのはほとんどないんだけど、収入があったときは嬉しいし、おいしいものが食べられると嬉しいし、ともだちから電話がかかってくると嬉しいし、苦しんでいてああもう嫌だあと思ってた原稿がしあがった瞬間も嬉しいし……。

五島:短歌やってて嬉しいときはいつでしょう?

荻原:歌集が、自分の歌集でも他人の歌集でもそうなんだけど、歌集が校正まで完了したときがいちばん嬉しいかなあ。達成感があるから。自分のやっていることに何一つ悪いところがないように思える一瞬でしょ。終わったその瞬間というのは。周辺にあった空気の張りみたいなものが一気にひいて、至福みたいなものがやってくる。その瞬間だけはね。場合によっては直後にその至福が崩れてゆくこともあるけど、ともかく終わるっていうのは、自分の行為に何の非も認識できない一瞬の錯覚みたいなものが生じるわけです。歌集だけじゃなくて、原稿でも手紙でも、書きあげた瞬間は至福のときで、永遠にこの感覚が続いたらなあって思います。『デジタル・ビスケット』は、二十年分の短歌が入っていたので、あれがしあがったときは、これまでにない嬉しい感じがありました。その至福がそのあとどうなったかは、ちょっと今ここでは言えないけど(笑)。

マラソンリーディング、リーディング

五島:話は変わりますが、マラソンリーディングの感想を教えてください。

荻原:自分が参加して朗読したことについてですか?

五島:はい。

荻原:短歌朗読は、以前に、武蔵大学での大学祭のイベントに呼ばれたとき以来で、二回目でした。そのときは、現代詩と短歌のヴァーサスみたいな感じで、歌人は岡野弘彦さんと岡井隆さんが出ていて、詩人は吉増剛造さん藤井貞和さん林浩平さんたち、それに町田康さんが出ているという豪華で硬質な印象のイベントでした。今回のマラソンリーディングは、ちょっと違うタイプのイベントでしたが、それでも、どちらも、たとえばここでこうしてしゃべっているのとあまり違わない印象でしたよ。話を聞いてくれる人たちが集まってこうして目の前にいてくれるのと。あとからさまざまに評価されるんでしょうけど、まずは興味をもって聞いてくれるわけですよね。聞くのがどうしても嫌な人はここにもあの場所にもてくれないわけだから、ともかくまあ聞いてやろう、という人たちがそこにいるわけですよね。その人たちに向かって自分の声で作品を届けることができったっていうのはとても快かった。

橋元:ちょっとおまけ的な感じですか?

荻原:おまけっていうか……、お得感があるよね(笑)。聞く人にきちんと集まってもらえたときの朗読って、すごくお得感があると思うんだ。なぜかって言うと、物理的に目の前に人がいて、自分の喉が音声を発して震動すると、その震えがダイレクトに目の前の人たちの鼓膜を震わせるっていう実感がわくんです。文字の場合は、一首をどうやって組み立てようか、連作をどうしようか、歌集の構成をどうするかって考えて考えて考えぬいても、それが読者にどうやって伝わるのかって実感としてわかりにくいところがあるし、何かがフィードバックされても時差が生じるんですが、朗読にはそうした遠回りの部分がなくて、ダイレクトに鼓膜を震わせるわけでしょう。自分の作品が否応なく相手の身体に届くわけなんです。そこにお得感があるんじゃないかな。会場の照明がもっと明るい場所で、みんなの表情を見ながら朗読できたらさらにいいんじゃないかなって思います。

宍戸:テキストの選択は、『永遠青天症』からでしたね?

荻原:はい、そうです。『永遠青天症』の「『天使』のエスキース」という連作をそのままのかたちで朗読しました。連作を朗読したのは、まとまった作品数を朗読で聞いたとき、連作にした方が全体のイメージがたちあがりやすいからです。朗読を聞いて、細かいところはおぼえていなくても、あとで全体のイメージが残っているのが大事ですしね。それと「『天使』のエスキース」という連作は、わりあい内容が掴みやすいんじゃないかとも思ってました。ぼくは、発声がきちんとできるわけではないので、できるだけわかりやすいテキストを選びました。

五島:繰り返して読むフレーズと繰り返さないフレーズがありましたね。

荻原:ああ、はい、そうですね、あれは、一度だけ読むのでは聞きとりきれないような気がするし、まるごと二度繰り返すとくどいような気がしたので、折衷案として考えてみました。意味がわかりにくい歌の場合は、二度繰り返すのがいいんだけど、意味がすぐにわかってしまった場合、まるごと二度はちょっとくどいと思うんです。だからどの歌をどう読むかっていうのを事前には決めておかずに、その場で自分で自分のテキストを読みながら、ああ、これは繰り返そうとか、これは一度でいいや、とかアドリブで決めながら朗読してみました。だから、大枠はおぼえているけど、細かいところまでは再現しようと思っても再現できないような、一回性の朗読になっていると思います。そう言えば、今日の午前中は、「WE ARE!」という川柳誌が主催した朗読についての座談会をやったんです。藤原龍一郎さんとか田中庸介さんとかメンバー八人で。朗読はこうして何回もイベントが開催されてゆくうちに、どんどん新しい展開が見えてくるような気がします。「肉声」というと歴史的なもののような気がするけれど、現在の朗読シーンはちょっと違うんでしょうね。ぼくは、インターネットが歌人たちに普及してゆく時期と朗読イベントがこうして広がってゆく時期とがぴったり重なっているところに注目しています。性質がかなり違って見える二つの動きは、実はどこかでつながっているんじゃないかと思って。これからも楽しみながら双方にかかわっていきたいです。

オタクですか?

秋元:今日来ていないメンバーから質問があったんですけど、どのようなアニメを見ていらっしゃったんですか?

荻原:はい? ああ、昨日、尋問されましたよ。髭をはやしたあの人に(笑)。アニメが好きかどうかとかそういう紳士的で間接的な質問じゃなくて、「荻原さんはオタクですよね?」って訊かれた(笑)。でも、作品上にはメジャーなものしか出してないと思うし、実際に見てたのも、メジャーなものが多いと思うんだけど……。むかしは「鉄腕アトム」とかね。あとは「宇宙戦艦ヤマト」とか「機動戦士ガンダム」とか「新世紀エヴァンゲリオン」とか、そういう流行にもなったようなものが多いですよ。たぶん文章を書いたり話をするときにこだわるポイントが、さっきも話題に出たようなメイキングの部分だったり、何か主たるところをそれる感じがあるから、その構えがオタクっぽく映るんじゃないかなあ。

橋元:でもある種の趣味性の高い空間に若い頃いたってことはないですか?

荻原:趣味性が高い空間と言えば、今もまるっきりそうなんだけど……。好きなことはどこまでも掘りさげてゆくのが好きなので、少年時代に切手収集とかして、きれいな切手や好きな切手をただ集めるっていうよりは、切手そのものの歴史とか、あるいはこの切手は何枚くらい発行されていたかとか、そういうマニアな方向にはまってゆく傾向はあったかも知れませんね。それに、そう、ともだちが、こだわり系の人に偏っていたかな。何かをものすごく楽しくて良いもののように語るともだちがいると、つい自分もその世界を知りたくなるってことはありますよね。

橋元:中学高校のとき何部でしたか?

荻原:部活? 中学のときは剣道部です。高校になってラグビー部に入りました。どこからどう見てもオタクじゃないよ(笑)。どちらも進学したときに、運動部に入るのがふつうみたいな感じだったから、それで入りました。もっともどちらも一年生のときしか部活してなかったけど。高校の文化系の部活はあまり好きじゃなかったな。なんとなくその空気になじめない感じがした。

秋元:マンガは?

荻原:マンガももちろん読んでいたけど、オタクと呼んでもらえるほどでは……。昨日の「尋問」では、何に反応していたかな、弓月光の歌があったから、それに反応したいたようだったけど、弓月光って、オタクとかそういう感触がにじみ出てくるようなマンガ家じゃないような気がする。中学の頃には、男子も「りぼん」とか読んでるのがいっぱいいたから。付録とか嬉しそうにつくってたのがいたよ。そういうともだちに教えてもらった情報はいっぱいあるんだけど、他に、そんなにオタクっぽいの出てきたっけ(笑)?

橋元:いやー、それはもう問う者の心が……。

荻原:どこかぼくの体質みたいな部分で、そういう人を刺激するような要素があるのかな(笑)。でもね、どちらかと言うと、マニアなことディープなことを教えてもらうのは好きだけど、自分からそこに入ってゆくってのはないですね。黒瀬珂瀾さんの日記を読んで楽しむとかそういう感じ。みなさんはどんなアニメやマンガが好きですか?

橋元:ドラゴンボール!

宍戸:やっぱり周りでやってるアニメーションに接していないとコミュニケーションが取れないっていうのがあるんですよ。

荻原:それはぼくたちの時代でもまったく同じですよ。一九七〇年代って、特に前半の頃は、そんなにたくさんアニメがあったわけじゃないし、同じものをみんながみんな見ていたっていうケースも多かったように思います。楽しみが少なかった時代かも知れない(笑)。ぼくは「巨人の星」っていうマンガが好きだったんだけど、コミック本がそんなにたくさん買えなかったので、何回も何回もねちっこく読んでました。繰り返し読むから自然に詳しくなりますよね。セリフもおぼえてしまったり。もしかするとそういうねちっこさみたいなものが、短歌にも反映されているのかもね(笑)。たまにむかしのマンガの話題が出たりすると、ついついマニアなことを語ってしまって、「詳しいですね」とか訝しげに見られることあるから。でも、マンガで育つってそんなに変わったことじゃなかったような気がする。今でもよく読みますよ、マンガ。夫婦でよくマンガ喫茶に行きます。

橋元:素敵ですね。

荻原:それは素敵なのか(笑)。二人で向かい合って座ってるのに、マンガひらいて、お互いの顔も見ないまま、ずーっとこうやって下向いてるんだよ。

秋元:あ、出てきますね、高橋源一郎とか。

荻原:ああ「高橋源一郎を奪つて読みあつてほほゑみふかしいづれは寒し」かな。あれは奪いあって読むわけだから、ある意味でとても健康的な感じですね。マンガ喫茶では、別々のもの読んでいるから、なんかこう、小さな世界が二つそこにならんでいるだけで、互いに干渉しあわない不思議な光景ですね。マンガ喫茶だからまだいいけど、家のなかでもそうだったらちょっと淋しいですね。やっぱり奪いあいの方がいいよ。しかし、そうか、オタクに見えるんですね。今度からオタクでしたって言ってみようかな(笑)。黒瀬珂瀾さんなんてそういう感じが個性としてとても面白く出てる人だし、上の世代でも、藤原龍一郎さんはオタク的なところを感じさせますね。競馬オタクとかプロレスオタクとか。それが一つの売りになっていますね。オレはちょっとこの世界についてはうるさいんだよ、とか言う中年男性ってよくいるけど、そうじゃないんだよね、藤原さんは。うるさいんじゃなくて、その業界の人みたいに自然な感じで身についてるんです。うん、やっぱり、ぼくはオタクじゃないよ。だって、なんにつけてもあんなに詳しくないから(笑)。

宍戸:前に藤原さんが早稲田短歌会の歌会に来てくださったときに、誰も知らない騎手の名前の入った歌を出されて、困った記憶があります。固有名が分からないために歌の読みが決定しないという……。

荻原:そうでしたか。それは、今日話していた「場」と「場」をつなぐことがうまくいかなかったということでしょうね。競馬のジョッキーの名前が自然にわかって機能する「場」っていうのもあると思うんですが、早稲田短歌会はそういう「場」ではなかったわけですね。負けず嫌いの藤原さんのことなので、きっといつか、同じタイプの歌でリベンジにやってくると思います。その名前がわからなくても、みんなが良いというような歌を抱えて……。

橋元:なるほど。最後には割りとプライベートな質問にもお答えいただきました。楽しい二時間をどうもありがとうございました。 

== 了 ==

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