::早稲田短歌31号インタビュー −水原紫苑氏に聞く−

早稲田短歌会: 歌壇一月号では、関心がある歌人というか、ライバルがいないということですが。(ライバルとは)敵という意味ですか?

水原紫苑先生: 競争相手というか、意識する人ですね。尊敬する人はいますよ。だけど『この人と比べて』とかそういうことはあんまり考えなくなったな、と。

早稲田: 自分の歌を完成させるうえで自分自身に関心があると?

水原: そうですね。自分自身にもそんなに深い関心はないのだけれど、でも、賞を一緒にもらったときは辰巳泰子さんとか、歌集を一緒に出したときは小島ゆかりさんとか、同年代の歌人は結構、自分と比べてどうかなってよく考えたんですけど。ただ最近そういうことを考えなくなったというだけのことで。

早稲田: そういう意味では、歌に変遷があったと?

水原: うーん…、そうですね…。他人をそういうふうに意識するから歌に変遷があった、ということじゃないですけど。でも十年ぐらいやってその中で、この自分の精神的な変化といっしょに歌が変わってきていると思うんですけどね。

早稲田: 初めて先生が歌を作ったときと今のスタイルの違いは?

水原: 春日井先生のところへ入ってからかな、私、高校のとき、高校の授業でちょっと作ったんですね。そのときは本当になんかこう告白みたいな、そういう短歌作ってたんですよ。で、その後前衛短歌のいろいろな本を読んで、その影響で作りだしたのが今のに近いかな、と。…斎藤史が好きでしたね。最初の頃は。『魚歌』とか、初期のですけれどね。

早稲田: 斎藤史さんの他には?

水原: すごく影響を受けたのは葛原(妙子)さんと山中(千恵子)さんですね。

早稲田: 歌の変遷を考えるうえでは、やはり葛原さんの影響は考えざるをえない感じですか。

水原: 一番大きな影響を受けていると思います。

短歌会: 先生はご自身の歌に関してどのように思っていらっしゃいますか、どのような感性に属するもの、と?

水原: 葛原さんとか山中さんの系列ということは頭にあったんですね。なんか幻視的なタイプとか。でもその中で自分のオリジナリティーをどうやって出せるのかなって思ったときに、短歌っていうのは別にこの百年のものじゃないし、ずっと続いているでしょ。それこそ本当に千何百年間続いてきた形式だから、その中でオリジナリティーって考えるのはちょっとやめようと思ったんですね。自分の歌が自分の歌として残らなくても…。
…、だからどうしても自分の名前を残したいとか、短歌史に刻みたいとか、そういうことは考えなくなったんですよ。…なにも考えないのかもしれないな…。
自分の歌が分かりにくいのかもしれないと思って、そのことは全然気にならなかったけれど、最近になって、やっぱり、昔の和歌なんか聞いただけで、調べだけで伝わってくるものがありますよね。そういうものっていいな、と思って、そういうのにすごく憧れているんですけど。

短歌会: 古典を今読み返すことがたびたびあるんですか。

水原: 私はそんなに古典は強くないですが、そうですね、和泉式部とか、式子内親王とか定家もわりと好きですね。それから今ちょっと小さなグループで万葉集を読む勉強の会があって、全然私勉強してないけど、そういうのもわりと好きです。万葉集の最初の方の、こう、ごく神様と人間が近いような、そういう時代の歌には興味がありますが。

短歌会: 先生は、初めは告白体の歌だったということですが、今の創作体制に入るときに、根本的な作歌姿勢に、動機に変化があったんですか。

水原: だから、自分の感情というのをそのまま入れればいいのだと思っていて、だけど前衛歌人の歌を読んで自分が改めて歌を作りはじめたとき、歌をひとつのミニシアターみたいな感じで、そこで舞うような感じを持ったんですね。…私は芝居がすごく好きで、(大学で)専攻したのもフランス演劇だったし、そういうことも関係あると思いますね。穂村君に関して言えば、私はすごく仲良しなんですよ。ものすっごい、仲良しなんですよ。みんなも穂村君の歌大好きだと思うんですよ。若い人すごく好きだし。すごく魅力ある人だと思うんですけど、私、本当に十何年彼と仲良しなのに彼の歌の良さ、わからないんですよね。仲良しの中で私だけわからなくて…。いつも彼にははっきりと言っているんだけど、これってなんなんだろう…?彼が本当に、その短歌っていうのは自己表現、自己救済の器というふうに考えているわけなんですよね。だけど何か、私はそれだけではなくて、美ということもあるのだけど、美って何かというとそれはただ美しいということではなくて、短歌形式を通じて、何か人ならぬものと交感するというか、古今集でもあるじゃないですか、神々を動かすような、蛙も鳴きい出づるような、何かそういうものに対する憧れがあるんですよね。だけど、すごい告白体の歌というのも好きなんです。中城ふみ子なんかも好きなんですよ。そういうのも憧れるんですけどね。でも今の私にはできないな、と思って。できるようになったらそれもいいと思うんですけど。

短歌会: 先生が短歌を『自意識、魂の解放』と(早稲田の)授業でおっしゃっていたんですが、それは先の美の話と通ずるのでしょうか?

水原: 自意識の解放というか、なくなるという感じですか?それも何か大きなものと交感することとつながっている気はするんですけどね。

短歌会: 授業で先生の短歌観をうかがった時に、『ここではないどこかへ』連れて行くもの、とおっしゃっていましたが、そういったことなのでしょうか?魂の解放というのは?

水原: そうですね。

短歌会: 『ここではないどこか』って何処なんでしょう?

水原: わからないのですけど、そうですね、第一歌集の頃はかなりはっきりと考えていて、能(能楽)と結びつけて考えていたんですね。能で毎のシテがいて、普通にはこうしている人間が、たとえば、昔の武将の亡霊であったり、昔の小町のなれの果てであったりして、それが夢で現れるとか、そういうような感じで、…たとえば(今飲んでいる)これはメロンジュースだけど、ただのメロンジュースじゃなくて昔の武将の持っていた剣であるとか、
そういうふうな魂の交感みたいのを考えていたんですね。何か言葉自体を緩やかに流していってそこから何かたち顕れるものがあるといいなと思っているというか。

短歌会: 言葉を媒介にして何らかの全く別個のものを表現しようとする…。

水原: 最初はわりとそういう意識があったんですね。今は言葉を用いて、という感覚もあまりないですね。むしろその言葉には、言葉が持っている、……言葉自体が生き物でしょう?その生き物の生理というものに自分も乗ってどこかへ行きたいな、と。

短歌会: それが、今の先生の短歌観ですか。

水原: そうですね。決まったものがあるわけではないけれども。今質問されたからそう思ったという感じですね。

短歌会: 先生の歌について短歌会で意見を聞いたところ、歌の調べの豊かさ、リズムの良さ、破調、句またがりの極端な少なさ、そして豊かな日本語のストイックさという意見があったんですけれども、先生は自らの歌のしらべについてはどのように思われますか?

水原: しらべはあまり自信がないんですけどね。わたしは実際の歌でも音痴だし、舞の間とかも悪いし、あまりリズム感はよくないんじゃないかと思って、破調が少ないのも、破調であってもさらにこう、豊かな調べが出せる自信はないなっていう感じは持っているんですね。

短歌会: 先生は高校時代に歌をはじめられて、その後、歌の休筆期があったそうですが、

水原: ええ、そうなんですよ。

短歌会: その間はどのような表現をなさっていたのでしょう?

水原: その間は、ええと、学生のときはフランス演劇の研究者になりたいと思っていて、でも勉強が嫌いでだめだったし、歌舞伎が好きだから歌舞伎の脚本が書きたいと思ったんですね。歌舞伎でなくても劇作家になりたいと思っていて。私、子供の時から詩とか分らなかったんですよ、実は(笑)。お話のあるものが好きで、そういうもの書きたいなと思っていて、でもなんか結局歌になってしまったという感じで、だから今でも他のジャンルのものが書きたいなって気が常にあって。

短歌会: それがたとえば、カネボウの広告誌『ベル』に短歌と散文の融合みたいなものを連載されてますよね。そういったものがその気持ちの表れなのでしょうか?

水原: そうですねー。ああいうの楽しいですね。でももっと歌を離れて物語を書いてみたいなと思ったりするんですけど、書いたことないからわからないんですけどね。

短歌会: 『ベル』での反響はいかがですか?

水原: 『ベル』はカネボウの人が(作品を)気に入ってくれてるんですよね。よくわからないんですよ私。自己評価っていうものがよくわからないんで。自分の歌もいいか悪いかよくわからないし。一首出来るとああいい歌だなって気がするんですよ、全部ね。(笑)…全然わからないですね。

短歌会: 先生は、ご自分の作品が必ずしも他者に伝わることを欲していないというところがおありじゃないか、という感じがするんですが。

水原: 考えてないですね。というよりはなかったですね。それじゃいけないのかなって最近では思い出したりもしていいるんですけれどね。少なくとも今までの歌集では全然考えていないですね。

短歌会: 伝わるという話に関して、ですけど、歌会の場で伝わることを欲するために、表現をデフォルメすることがあるんですが。

水原: そうですか。わたし、先生(春日井健先生)が名古屋にいるので歌会全然出ないんですよね。それが関係あるのかも知れませんね。ただ意見の交換は、さっき話した穂村君とよく話すんですけどね。だけど短歌観が違うから、彼がいい歌っていうとこれはまずいのかもしれないのかなって気がして、私の歌とは違うのかなって思ったりするんですけど。(短歌会会員に)みなさん、他人に伝わるっていうことを考えて作りますか。

短歌会: 意識しすぎなんでしょうか。

水原: わかんないですけどね。つまり、簡単なレベルで相手に伝わるってことを考えるのは良くないことだと思うんですけどね。大きな意味で『コミュニケーション』ということは変わらないから、難しいですよね。

短歌会: 意味はよくわからなくても、好きになる歌があると、意味だけではない、しらべなのかな、って気がします。

水原: そうですね。だけどそれが自分ではなかなかわからないですよ。他人の歌では意味がわからなくてもいい歌がありますけどね。

短歌会: 先生の歌のファンの方や、わかる人にだけわかってもらえばいい、と?

水原: 誰か分ってくれる人がいるかもしれないとは思っているんですけど。でもファンの人って分んないですよね。どういう人がファンなのか。近所のおばさんで私のファンの方がいて、でもどういうふうに読んでくれてるのかわかんないんですよね。購買層とか、全然意識してないです。だってわかんないんですもん。

短歌会: 穂村さんは購買層を意識してらっしゃいますかね。

水原: 穂村君は全員に愛されたいと、歌を作ってますよ(笑)。…私は特に購買層とか意識してないです。でも、みんなに読まれたいと思うんですけどね。みんなに愛されることも全然悪いことだと思わないし。お能だと、なんか知識全然なくても、いい、って分るんですよね。発してるオーラでね。そういうのが最高だとおもうんですけど、でも、やっぱり歌はことばを媒介にするので、そうはいかないですよね。人間の身体の動きだとどんなに知識のない人でも分かるっていうことはありますからね。

短歌会: 昨年から早稲田大学で授業をもってらっしゃいますが、その感想というか、手応えはいかがですか?

水原: 最初はすごく、教えるなんてことはすごく嫌だったんですが、結局学生みんなは私がもう持ってないものがある、…まだみんな青春を生きているから、どんな人にも若いときにしか出せないものがあるから、そのオーラというものを自分があげられるという事が、すごい幸せだと思うんです。それと初めて作った人でも一年間やるとどんどん自分のいいものが出てくるから、その意味で短歌形式はすごいな、と思いますね。青春に適した表現形式…、詩ってだいたいそうですよ。ランボーみたいにね。ああいうの最高ですよね。春日井先生もなんといっても第一歌集がいいですからね。…これって、でも、栄光だと思うんですよ。あと何書いても第一歌集を超えられないってことは、すごいことだと思うんですよね。それで詩人って十分だと思います。でもね、生きている本人にとっては辛いことですけどね。…私は春日井先生ほど第一歌集ですごいものを作って、ていう感じは全然ないし、ただ第一歌集の方がよかったっていう人も沢山いるから、分からないですね。そうなのかもしれないし。

短歌会: 歌集の話が出たので、お聞きしますが、『くゎんおん』の評判はよろしいようですね。

水原: 分からないの。わたし『客人』の時、結構気合入れて作ったんですよ。そしたら評価が低くて、ああもう駄目だと思って、それで、『くゎんおん』になったら割といい加減に歌を集めて作ったんですけどね。だからよく分かんないです、人の評価は。『客人』の方が、リズムとかももっと乱れてるし、もっと滅茶苦茶だと思うんですよね。

短歌会: 先生の作品の中で繰り返し使われるイメージ ―― 魚であったり、水であったり、弟であったり ―― は先生の中でどのような意味を持っておられるのでしょう?

水原: そうですか。弟というのは無意識の中にこういう憧れがあると思うんですよね。自分に実際弟というものはいないし、大伯皇女なんかみんな憧れるでしょ、女の人は。あのイメージってやっぱり分かると思うんですね。兄っていうのも一つの憧れだけど、弟っていうのも永遠の憧れで、なんかこの、母が子供に対する愛情ほどエゴイスティックではなくて、だけど身を投げ出せるようなものがあると思うんですよね。弟のイメージには。魚はどうかなあ。やっぱりこう、人間よりも前の生に戻っていきたいっていう感じがすごくあるんですよね。

短歌会: それは美意識…?

水原: 美意識ってものではなく自分の救われたイメージのようなものですね。魚の頃のわたしはもっと幸せだった、みたいな。繰り返し使うのは良くないかな、と思うんですけど、だけど自然に使っちゃうので。こういうふうな歌は、自然に造っちゃうんだと思うんですけど。犬もいっぱい使いたいですけどね。でもそれは本当に犬が好きなので(笑)。ちょっと違いますね。典型的なイメージってほどじゃないから。

短歌会: 犬の散歩などなされるんですか?

水原: 犬は今、いなくなっちゃったんですけど…。

短歌会: すみません。

水原: いいんですよ。散歩してなかったんですよ。庭で放し飼いにしてたんですよ。そしたらどこか行っちゃったんですけどね。

短歌会: 若い人が持っている歌のイメージについてどう思われますか?

水原: わたしたちが始めた頃よりも、これは俵万智さんの功績なんですけど、短歌というのがマイナーなジャンルには違いないのだけれども、十分に現代人が活用できるジャンルなんだなというふうに思ってくれてる感じがしますね。それがすごく嬉しいことだと思います。黒瀬(珂瀾)君たちはまたちょっと違うんですけど、もうちょっと上だと、永田紅さんとかそれ位の世代の人だと、どっちかというとわたしたちの世代のころの、すごい無責任なイメージの拡大というのよりも、もっと現実についてますよね。それはそれで時代からいってそうなのかなと思うんだけど、わたしたちが持っていた夢なんかを打ち壊すような、もっともっと大きな夢を持った人を見たいなと思います。

短歌会: 『夢』というのはイメージですか?

水原: そうですね。

短歌会: 確かに口語で軽く作る人は多いですが、現実を乗り越えるようなイメージの歌は少ないですよね。

水原: そういうのは世代に関係なくいつも見たいと思うので…。今の歌壇の歌で、この人の読みたいな、って本当に無くなっちゃったんで(笑)。前は山中さんとか塚本さんとか、すごく読むのが楽しみだったんだけど、山中さんのは今でもいいと思うけど、みんな本当に停滞しちゃってますよね、今の歌壇はね。自分も含めてそうだと思うんで、時代もそうかもしれないんですけど、このままではいけないですよ。やっぱり歌壇の中のヒエラルキーなんて廃止してもっと、本当にそれこそ若い人の歌なんかをいっぱい出して欲しいですね。年功序列ってやっぱりまだありますからね。それに凄いムラ社会でしょう。歌人ってみんなすごく人が良くて、従順な人が多いので。わたしは歌壇の束縛を受けたことはほとんど無いんですけどね。わたしたちの世代はその意味ですごく歌壇が開けてきた頃だったから幸せだったと思うんですけど、また今、硬くなってきているのかなって感じはしますけどね。でも寺山修司とか中城ふみ子が出た時も、もう短歌には新しいものなんて出ないんだって言っていたのに彼らが登場したでしょう。そういうことは常にあると思うんですよね。一人の天才が出てくればまた変わるし。

短歌会: 先生は早稲田の授業で塚本邦雄を論理的に説明されていましたが、歌っていうのは、すべての語が連関を持って論理的に作られているものなんでしょうか?

水原: 論理的な説明っていうのは本質的にいらないんですよ。ただ塚本さんのは授業という場だから説明しているんで、塚本さんの歌は論理的な構造を持っていますが、でもそういうのを全部とっぱらってぱっと入ってくるのが一番いいので、それはそれだけで味わってもらうのがいいと思います。

短歌会: 三十首の歌を作るのに三十首だけ作る人と百首作る人がいて、先生は前者だ、と伺いましたが、そのことについていかがお考えでしょうか?

水原: それは、自分ではいけないと思うんです。歌はいっぱい作らなくてはいけないとよく言われていて、定家なんかでも本当にいっぱい作っているんですよね、即吟で百首とか。作らなきゃいけないんですけど、わたしはなかなか…本当にできなくて、三十首作るとなると三十首しかできないんですけど。三十首作るのに百首作るというのはたとえば、河野裕子さんですけどね。まあ、彼女は多作のタイプだからそうだと思うんですけど。歌っていうのは本当は、苦吟するのも大事なんだけれども、口ずさむようにさっと出なければいけないんじゃないかとも思うんですよね。だから特にみなさん若い人には沢山作ってくださいというんですが、そう言って自分ではなかなかできないのは悪いことだな、と思っているんですけどね。一首に対する思い入れが強いということは、…それは分からないですね。でもきっと沢山は作りたいと思っているんですけどね。

短歌会: 先生は〆切前に歌を作るタイプでしょうか?

水原: 本当は〆切前にすごく焦って、喫茶店なんかで作るタイプなんですけど、でもそれではいけないと思ってなるべく、一日一首以上は作ろうと最近思っているんですが…。だけど歌ってエンジンかかるまで難しいですよね。助走の最初ってなかなかいいのができないし、十種くらい作った時、パァ…ってなんか出来るけど、それも長く続かないし、また十首くらいつくるとまた落ちますよね。だから毎日何首ってなかなかね。塚本邦雄さんは一日十首とかっていいますけど。歌を作って眠れなくなるようなことは…、わたしは夜ではなくて喫茶店なんかで作るから。短歌モードに入ることはありますけどね。眠れないということはないかな。〆切が気になって眠れないことはよくありますけどね(笑)。わたしは作りたいと思う一つのイメージの断片を、言葉でもいいんですけど、そこから作っていくというのがわりと多いですね。情景全体が最初から見えるということは少ないですね。

短歌会: その言葉からイメージを紡ぐのですか。

水原: そうですね。その言葉から。それから、ある衝撃を受けたときその衝撃のイメージから作ろうとすることはよくありますけどね。

短歌会: 上句、下句の一方だけできて、完成しないということは?

水原: しょっちゅうあります。二句目までしかできないとか、上句までしかできないとか。しょっちゅうですよね。あと入れ替わることもあります。…自分の経験でもね、ふわっ、とできてしまった歌が一番いいということがあると思うんです。自分の歌でも比較的いい仕上がりになったなと思う歌は、さっとできた歌です。でもいつもそうはできないですよね。それが難しいですよね。歌を作る時に一番気をつけているのは、韻律の点です。口ずさんでみてそれが快いかということですね。でもこの前ある方と話していてわたしの歌のリズムが良くないといわれたから、もっと躍動的なリズムがなきゃいけないかなと思ったりするけれど。

短歌会: リズムの良さというのは先生の歌で特徴的ですよね。

水原: それはもしそう言っていただけるなら嬉しいんですけど、でも自分では自信ないですね。いろんなことで自信ないんですよね、わたし。なんかね、昔はもっと単純に馬鹿だったんですよ。自分のこと天才だと思ってられたんですよね。いつ頃からか、まったく何にも思わなくなったんですよ。

短歌会: それは歌に関して、それとも世界に関して?

水原: うーん、両方ですね。歌かもしれないなぁ。

短歌会: でも表現形式としてまだ歌を選んでいらっしゃるということは、歌に対してまだ何らかの信じられるものがあるからですか?

水原: ええ、それはあります。やっぱり歌が自分にあっているというふうに思うんですけどね。

短歌会: 先生が歌で窮極的に表現したいこととは?

水原: 小説にもできるかもしれないけれど、死を越えるということですね。何かこの世の命を越えて何もかも表現できるものですね。歌というものは。それは式子内親王の歌とか、本当にそうだと思いますね。輪廻とか前世とか、生命の本質に近づくとか、必ずしもそういうものではなくて、普通この命というのは今生まれて一回で終わるという感じなんですけれど、そうじゃなくて、輪廻というものとも必ずしも違いますけれど、死を越えてなお続く命の本質を、魂のようなものを掴めるんではないかという期待ですね。山中千恵子さんの歌なんかそう思いますけどね。

短歌会: 山中さんも寡作なように見えて、一度に大量に発表なさいますよね。昭和62年の『短歌』の面百首とか、ものすごい量を発表なさるという。

水原: あの方はちょっとね、普通の人じゃないから。全然普通じゃないです。山中さんは凄いですよね。でもわたし、授業でもいつも言うけど、山中さんに対する社会的不問がすごい不満なのよね。さっきもヒエラルキーのことを言ったけど歌壇の健やかな人のヒエラルキーにああいう人は容れられないじゃないですか。それに怒りを感じるんですよ。私は山中千恵子論を山中さんが元気なうちに書きたいと思っているんだけれども、なかなか書けないんですよね。

短歌会: 先生は先ほどもおっしゃったように、山中千恵子、葛原妙子、そして前川佐美雄の系譜につらなる歌人であると考えていらっしゃると思いますが、そういうことを考えると山中さんのなさろうとしていることと、先生のやっていらっしゃることはつながりがあると思うんですが。幻覚のようなものを私たちに提示してくれるという…。

水原: 山中さんとつながりがあると良いんですけれど。でもやっぱり断絶があるような気がするんですけれど…。佐美雄のほうが帰って近代人のような気がして入りやすいと思うんですけれども、山中さんは本当に古代の魂がのりうつったようなところがありますし、星が語っているようなところもありますよね。
短歌というのが本質的にこの世のものではないという自覚は持ちたいと思うんですよね。それは、でも、幻視のタイプの歌人ではなくとも持っている人はみんな持っているような気はするんですけれどね。高野公彦さんのは現世のことを詠っていてもそんな感じはありますよね。

短歌会:短歌会:なるほど。そうですね。それでは、以上で本日のインタビューの方、終了させていただきます。本日はお忙しいところどうもありがとうございました。

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