::早稲田短歌会、京大短歌会合同吟行会報告(平成十二年三月十八日) |
|
合同合宿の二日目は、東京都内で吟行を行った。前日のコンパは、三次会までもつれこみ、七時起床はみんな辛そうだったが、眠い目をこすりながら、九時ごろ、国立青少年総合センターを出発した。人数の都合上、二班に分かれて、吟行することとなった。やや、肌寒かったが、陽射しはもう完全に、春のものであり、絶好の吟行日和となった。 一、階をなすものすべてには冠を 二、あをぞらとつちのあはひに生まれたる鳩の無惨や死せるまで銀 三、急(せ)く人はすずしきものをはらむ魚 新宿の道ひた乾きつつ 四、細りゆく枝々を寒さに見つめ(POWERを!)九段の坂のぼりゆく 五、城壁に逆さに樹影放たれ来(く)雲はうするるままにまかさん 六、右耳の電気ドリルの爆音の中の視界が気がつきゃ狭い 七、人々が見上げるように歩く都市見下ろすようにビルの窓かな 八、英霊になりそびれたる老人が九段の鳩を杖に払えり 九、言の葉の亡骸沈め白鳩は昏れゆく海の際涯(はて)を越えゆく 十、国のためと叫べる友のいる東京 靖国の社(しゃ)は整然とあり 十一、春天にきらめく青の源は揺れる辛夷(こぶし)のゆびさきが知る 十二、一輪の薔薇を手に持ち制服の少女は春の街をかけゆく a 第二班は、都電荒川線に乗って、雑司ヶ谷へと向かった。都内でも有数の規模である雑司ヶ谷霊園には、多くの著名人の墓があり、一同は、夏目漱石、竹久夢二、島村抱月、永井荷風などの墓を詣でた。その後、再び都電に乗り、庚申塚駅で下車し、巣鴨地蔵通りを散策した。「赤ちゃんのおしり」という、不思議なパンを発見して、みんなで買って食べた。それを始めとして、地蔵そばや、やきとり、大学いもなど、みんな食欲を満たすことに余念がなかった。やがて、とげぬき地蔵で有名な高岩寺につき、参拝してから都電で、早稲田へと向かった。左記にあげるのが第二班の詠草である。 一、坂上の墓地に響きのはるかなる重機の音を聞きてありたり 二、まあ茶でも飲んでゆかぬかというように 荷風の墓の木の伸び盛り 三、陽炎の立つ土の道黒き蛾と思う僧侶の先立ててゆく 四、そちを率て去むとおっしゃるこの方につける薬もなしKisibojim・mae 五、墓地は街 角を曲がれば彼方にも別の部屋を訪う人あり 六、霊園をいろどる木々よわれは根に突きあげられた墓石を過ぐ 七、出荷予定消える種類の野菜ばかり並べて明るいおっちゃんの声 八、三色に盛られた地蔵そばを食う箸のつけかた試されながら 九、「サヨナラと、いつか私も・・・」つぶやいてきらら木洩れ日ただある墓に 十、愛を乞い乞われたゆびが今ひとりしづかに墓参の花を購う 十一、ひろげたる地図のくまなき眩しさよ修辞のなかに人は得難し aa 両班とも、楽しい吟行であったようだ。六時からは、早稲田の大隈通り商店街の中華料理店で前日に引き続き、コンパを行った。早稲田短歌会の顧問である佐佐木幸綱先生もいらっしゃってくださり、合同合宿の最後のコンパは、とても賑やかであった。こうして二日間の合同合宿は、大成功のうちに幕を閉じた。学生短歌会が少なくなってゆくなかで、互いに刺激し合える仲間に出会えたことは、大変心強いことであると思う。今日では、インターネットを使って、誰でもすぐに交流しあえる。インターネットを通じて、企画され行われた今回の合同合宿も、これからの、学生短歌会の交流のあり方を象徴するものだと思う。これからも、ネットワークを広げ、短歌による学生同士の交流を増やし、新たなムーブメントを起こしていければ、すばらしいことだと思う。今後の両短歌会、ひいては学生短歌会全体の発展を祈りつつ、吟行会報告を終えたいと思う。 |
|
back to index |
SEO | [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送 | ||