::『死にたまふ母』はいかにつくられているか(一) 宮澤 英邦

『死にたまふ母』が連作としてどのように作られているを検討することは、短歌の連作が、どのような技法のもとで作られうるかを明らかにする上で重要である。連作をするときには、単独に一首を詠むのとは違った技法が存在する。そのような技法の存在が明らかになるのは、内容的に連続性をもった連作の中で、時間と空間がいかに表現されているかを考察したときである。

『早稲田短歌二十九号』で私は、短歌のほうが俳句よりも「てにをは」が多いために、より主体性が表れるということを論証した。短歌の連作においては、作中主体はより主体性が顕著となると同時に、時間性と空間性を含んだ存在となる。つまり、主体は時間と空間の変容を被り続けるのである。
『死にたまふ母』の「其の一」は死期の迫りつつある母親を見舞うために作中主体が帰郷する場面から始まる。「都」を後にして「母の國」へと「汽車」で向かう様子が描かれている。

ひろき葉は樹にひるがへり光りつつかくろひにつつしづ心なけれ 1
白ふぢの垂花ちればしみじみと今はその實の見えそめしかも 2
みちのくの母のいのちをひとめ一目見ん一目みんとぞただにいそげる 3
うちひさす都の夜にともる灯のあかきを見つつこころ落ちゐず 4
母が目をひとめ一目をみんと急ぎたるわが額のへに汗いでにけり 5
灯あかき都をいでてゆくすがた姿かりそめの旅と人見るらんか 6

母を「一目みん」とする彼のまなざしは、常になんらかの「光」に捕われている。「光」は、『死にたまふ母』の連作の主調低音となっている。そして重要なのは、「光」は一貫して歌のモチーフとなっているが、次々とその象徴作用を変容させ、決して平板な同一性に留まることはなく、常に多様性に向かって開かれており、連作が進むのとともに、独特のスペクトルを描き出すことである。

そして「光」こそが『死にたまふ母』の連作に固有の時間性と空間性を与えてゆく。具体的に歌に即してみていきたいと思う。
「ひろき葉」が「光りつつかくろひにつつ」あること、この「光」と「翳」との交錯が彼の「こころ」の不安を表わしており、また、次第に「闇」に蔽われてゆく「都」にともる「灯のあか」さも「こころ」の動揺を表わしている。そして一首目の「ひろき葉」の照らす「光」から四首目の「都の夜にともる灯」の「光」の間ですでに昼から夜へ時間が経過しており、そしてその時間の経過は「光」の性質によって表現されている。つまり「光」は彼の心理の反映であるとともに、連作の中に存在する固有の時間性を表現している。
 
たまゆらに眠りしかなや走りたる汽車ぬちにして眠りしかなや 7
吾妻やまに雪かがやけばみちのくの我が母の國に汽車入りにけり 8
朝さむみ桑の木の葉に霜ふりて母にちかづく汽車走るなり      9 

母を見舞いに行くまでの時間と空間を経験しているのは、彼だけである。「汽車」の旅は、速度をともなっているので、時間の短縮と空間の急激な変化とを可能にする。「汽車」で旅には、古来の歌人が徒歩で旅した際に経験したような緩やかな時間と空間の変化からは隔たりがある。旅路における人や物との出会いは「汽車」の速度によって捨象されているため、時間と空間の変化は個人的なものとなる。

「汽車」での移動の中で迎えた朝は、「雪」の「かがや」く「光」と「桑の木の葉」の「霜」の「光」によってはじまる。「汽車」での移動は一晩という短い時間の中で彼をめぐる空間を一変させる。連作八首目にしてすでに「母の國」にいるのである。「吾妻やま」の「雪」と、「桑の木の葉」の「霜」の「光」は、単に「朝」という時間の到来を告げているだけではない。これらによって、「光」が可能とする固有の空間性が顕著に現れてくる。
沼の上にかぎろふ き光よりわれのうれへ愁のこ來むと云ふかや   10

「吾妻やま」の「雪」の「光」と、「桑の木の葉」の「霜」の「光」と、そして「沼の上にかぎろふ き光」は彼にとって、おそらく未知の「光」ではない。なぜならば、それらの「光」は、まだ彼が「母の國」を旅立つ前に知覚したことのある「光」だからだ。ここから「光」は、彼の「記憶」の中の「光」と重なり合う。「記憶」こそが、彼の知覚に大きな変容をおこさせ、彼に「母の國」の自律的な時間と空間を開示していく起因となる。しかし、ここで注意すべきことは、ここでいう「記憶」とは、彼の意志によって呼び起こすことのできるものではなく、意志によっては呼び起こすことのできない「自発的記憶」である。この「自発的記憶」は、意志によって呼び起こせる記憶、すなわち「意志的記憶」と対立する。「意志的記憶」は、体系的に情報化された「過去の経験」であり、意識の支配下にあり、回想によって想起できるものである。それに対して「自発的記憶」は、断片的で、はっきりと意識されずに経験されたような「過去の経験」であり、意識的な回想からは想起できない。この「意志的記憶」と「自発的記憶」の区別はベルクソンによる。ベルクソンは、経験の本質を「持続」と定義した。『物質と記憶』において彼は、知覚と記憶の関係を論じている。われわれの「知覚」は、「記憶」(「自発的」か「意志的」かに関わらず)に強く支配されており、我々の「知覚」は、けっして事物の現実的瞬間ではなく、我々の意識の瞬間、すなわち事物が我々の「記憶」によって主観的な選別を受け、その客観的実在性を意識の内部で分解された瞬間に継起することが多いと彼は述べている。「経験」は、このように「記憶」の強い支配下にある「知覚」が可能するものであり、そしてまた「経験」も「記憶」され、「記憶」は累積化されていく。この運動の繰り返しこそが「経験」の本質であるところの「持続」であると彼は述べている。

歌を読む際にも、「知覚」が必要とされる。その「知覚」もやはり「記憶」の支配下にある。「汽車」の中で、彼が「知覚」した三つの「光」は、「持続」に組み込まれた「記憶」である。彼はそれらの「光」を「記憶」にとどめているため、それらを「知覚」したときに、本質的な「経験」とすることができた。しかし、その「記憶」は母を見舞うために「汽車」に乗って帰郷しているという状況なしには回想不可能であるため「自発的記憶」である。「沼の上にかぎろふ き光」は彼に「愁」を喚起させた。「愁」を覚えたということは、彼が「 き光」を「自発的記憶」とともに「知覚」し、「経験」した結果である。そして、「光」の「経験」によって開示された空間は彼に「愁」を喚起させることにできる強力な磁場を形成する。

上の山の停車場に下り若くして今は鰥夫のおとうとを見たり   11

「汽車」から「停車場」に下り立ち彼は、空間としての「母の國」に踏み込む。「鰥夫のおとうと」も「母の國」という空間を形成する一要素である。

『其の一』の十一首では、彼をめぐる時間と空間の変化は目まぐるしいものであった。彼が「都」から「母の國」への「汽車」での慌ただしい移動の末に辿り着いたのは、死に臨みつつある母の枕辺であった。そして『其の二』における十四首の中で、彼は母を中心とした特殊な時間と空間を経験する。「母の死」は時間と空間にかなりの変容をもたらす。その変容をみていきたいと思う。

はるばると藥をもちて來しわれを目守りたまへりわれは子なれば  12

寄り添える吾をまも目守りて言ひたまふ何かいひたまふわれは子なれば 13
 
自分がこの母親の子供であるという認識は、意志によって獲得されるものではないだろう。死が迫りつつある母が彼を「目守」るとき、彼は「われは子なれば」という事実を深く再認させられる。母のまなざしが、彼が忘れかけていた「子」としての自覚を呼び戻してくれる。この自覚もやはり「自発的記憶」から呼び起こされるものであり、母が彼を「目守」る「まなざし」を「知覚」したとき、はじめて可能となる。「われは子なれば」という詠嘆は「自発的記憶」とともに理解されなければならない。自らの意志=意識を超えて、感情を深く揺さぶるもの、これこそが「詠嘆」と呼ぶに相応しいものである。

長押なるに丹ぬりの槍に塵は見ゆ母の邊の我が朝目には見ゆ    14

山いづる太陽光を拜みたりをだまきの花咲きつづきたり    15

死に近き母に添寢のしんしんと遠田のかはづ天に聞ゆる 16

桑の香のくただよふ朝明に堪へがたければ母呼びにけり 17

死に近き母が目よ寄りをだまきの花咲きたりといひにけるかな18

春なればひかり流れてうらがなし今は野のべに蟆子も生れしか19

死に近き母がひたひ額をさす撫りつつ涙ながれて居たりけるかな  20

「汽車」の中から見た「桑の木の葉」の「霜」には、これから母と共有する「光」が予感させられた。「桑」は母と密接に結びついている。この「光」は、母の枕辺に濃密な時間と空間を形成する「光」と繋がっている。「丹ぬりの槍」を照らし「咲きつづ」く「をだまきの花」を照らし出す「太陽光」は、彼が母とともに存在する空間を浮かび上がらせる。母の病床は決して閉じられた狭い空間ではない。「咲きつづ」く「をだまきの花」に導かれ外に向かってどこまでも延長された空間である。この延長を通して「遠田のかはづは天に聞こ」えるし、「をだまきの花」の咲いたことをを母に知らせることができる。この延長を可能としたのは、「山いづる太陽光」の真っ直ぐな「光」である。そして、その「光」は、春らしく「流れて」しまうほど淡く、「うらがなし」い。しかし、その「光」は母を中心とした空間を強く開示している。この連作において、時間と空間が連続性を持つことができるのは、「知覚」された「光」が、彼の「持続」に次々と組み込まれ、一貫した「経験」として成立しているからである。

彼は朝夕の時間の移り変わりを母と同じくし、「死に近き母」に辛うじて残る生命を感じとり、心に焼き付けようとする。「をだまきの花」を視覚で、「桑の香」を嗅覚で、「遠田のかはづ」を視覚で、「ははの額」を触覚でそれぞれ感じとり、母の最期の瞬間を確認しようとしている。特に「桑」、母が養蚕のために育て、蚕に与えていた「桑」は、母の象徴として彼の中にいつの間にか強く「記憶」されていたからこそ、母の換喩としての機能を連作の中で担っている。

母が目をしましか離れ來て目守りたりあな悲しもよ蠶のねむり   21

我が母よ死にたまひゆく我が母よ我を生まし乳足らひし母よ   22

のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり  23

いのちある人あつまりて我が母のいのちし死ゆ行くを見たり死ゆくを 24

ひとり來てかふこ蠶のへやに立ちたればわ我が寂しさは極まりにけり 25 

母から離れて「蠶」にいる部屋に来たとき、彼をめぐる時間と空間は再び彼一人だけのものになる。「我を生」み「乳足ら」してくれた母、彼の「持続」の中で、過去から現在にかけてのどの瞬間においても実感をともなって「経験」されてきた母が、今彼の目の前で死に至ることで、その同一性を失い、「持続」不可能なものとなる。母の死は彼に「経験」できない。なぜなら「母の死」は、彼の「記憶」に存在しないからである。先ほど述べたように、「記憶」に支配された「知覚」が「経験」を可能とする。しかし、「母の死」は「記憶」として存在しえない今ここでの一回限りの出来事であり、「母の死」に対する「知覚」は「記憶」に支配されることのない「知覚」、つまり、事物の現実的瞬間に継起した「知覚」でしかないため「持続」の作用に従って「経験」することはできない。このことを最もよく示しているのが、「のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて足乳根の母は死にたまふなり」の一首である。「母の死」を見た彼のまなざしは、「母の死」を即物的な現象としか「知覚」していない。「のど赤き玄鳥ふたつ屋梁にゐて」という描写には、カメラのレンズが捉えるような瞬間しかない。その瞬間は、主観的な意味付け、つまり「知覚」に伴う「記憶」の主観的な選別を排除する。それは、単なる現実的瞬間である。彼の中にあった「母」という存在の「持続」は、「母の死」という「経験」不可能な「知覚」によって途切れてしまう。この「途切れ」こそが、「のど赤き…」という瞬間に露呈している。ここでは彼は、「母の死」の現実的瞬間に継起した、「経験」不可能な「知覚」に直面しているのだ。
母と共有してきた時間と空間は「母の死」によって失われる。「いのちある人あつま」る母の枕辺は、母という中心が消えてしまったことで、希薄で虚しい空間となる。そしてそれは「光」を失っているために、空間として開示されない。再びひとりで「蠶のへや」にやって来た彼は、今度は彼一人の時間と空間の中にいる。そしてそこで、「桑」と同じく母の換喩として機能している「蠶」によって「母の死」に立ち会ったことで不可能となった「持続」の作用による「経験」を取り戻す。「蠶」は彼の「記憶」として存在してきた。そして母が死んでしまった今もなお存在しつづけている。彼はその「記憶」を頼りに「蠶」を母の代償として「知覚」し、「経験」する。ここに彼の「持続」は再びよみがえる。その証拠として在りし日の母を「蠶」に思い出す彼に「寂しさは極ま」ってゆくのである。                                    (つづく)                  
『死にたまふ母』は岩波文庫『赤光』の改選版に拠った。                   歌の下の番号は連作内での順番を表す。

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